オジー・オズボーン氏が死去、76歳 数週間前に「最後のコンサート」開催

マーク・サヴェッジ音楽担当編集委員、ルース・カマーフォード記者(BBCニュース) ロック界の重鎮で、最も影響力のあるミュージシャンの一人であるオジー・オズボーン氏が22日、死去した。76歳だった。 英バーミンガム出身のオズボーン氏は、ブラック・サバスのフロントマンとして、「アイアン・マン」や「パラノイド」などの楽曲を通じ、ヘヴィメタルを生み出したと評価されている。 自らを「闇の王子」と称してきたオズボーン氏は今月初め、故郷で最後のコンサートを開催したばかりだった。メタリカやガンズ・アンド・ローゼズなど、オズボーン氏に影響を受けた多くのミュージシャンが出演した。 家族は22日、声明で、「言葉では言い尽くせないほどの悲しみと共に、今朝、愛するオジー・オズボーンが亡くなったことを報告しなければならない。彼は家族に囲まれ、愛に包まれて旅立った」と述べた。 死因は明らかにされていないが、オズボーン氏はこれまでに複数の健康問題を抱えており、2019年にはパーキンソン病と診断されていた。 家族の広報担当者はBBCニュースに対し、オズボーン氏がイギリス国内で死去したことを認めた。 オズボーン氏は1948年12月3日、バーミンガムのアストン地区でジョン・マイケル・オズボーンとして生まれた。父ジャック氏は工具職人、母リリアン氏は自動車部品の製造工場で働いていた。 小学校時代に「オジー」というあだ名がつき、それが定着した。 このあだ名を得たことを除けば、学校生活は若きオズボーン氏にとって惨めな経験だった。彼はディスクレシア(発達性読み書き障害)に加え、現在で言う注意欠如・多動症(ADHD)にも悩まされていた。 オズボーン氏は15歳で学校に行くのをやめ、低賃金の仕事をいくつか経験した後、窃盗で短期間服役した。その後、音楽の道に進んだ。 地元の複数のバンドでボーカルを務めた後、1960年代後半にギタリストのトニー・アイオミ氏、ベーシストのギーザー・バトラー氏、ドラマーのビル・ワード氏と共に「ブラック・サバス」を結成した。 4人はブルースに影響を受けながらも、より遅く、より大音量で、より不気味な独自のサウンドを確立し、しばしばオカルトを題材に取り上げた。 ヘヴィメタルの先駆者とされるブラック・サバスは、1970年にファーストアルバム「黒い安息日」を発表。その後も「パラノイド」や「マスター・オブ・リアリティ」などのプラチナアルバムを次々とリリースした。 悲鳴のようなボーカルスタイルと、「闇の王子」としての評判を武器に、オズボーン氏はバンドを世界的なスターへと導いたが、薬物とアルコールへの依存が深刻化したことを主な理由として、1978年にバンドを解雇された。 その後、オズボーン氏は1980年にソロデビューアルバム「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説」を発表し、代表曲「クレイジー・トレイン」と共に成功を収めた。 翌1981年にはアルバム「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン」をリリースし、こちらも500万枚以上を売り上げた。 オズボーン氏は1980年代から1990年代にかけて精力的にツアーを行い、さらに「オズフェスト」として知られるツアーシリーズでも大きな商業的成功を収めた。オズフェストは主にアメリカで開催され、あらゆるジャンルのメタルバンドが出演した。 オズボーン氏は多くのフェスティバルでヘッドライナー(主役)を務め、かつてのブラック・サバスのバンドメンバーと共演することもあった。 こうしたなか、オズボーン氏は常軌を逸したライブパフォーマンスで知られるようになった。 最も悪名高い事件は、1982年に米アイオワ州でのステージ上で、生きたコウモリの頭をかみちぎったことだ。このツアー中、オズボーン氏は観客に向かって生肉を投げており、観客もそれに応じてステージに物を投げ返すようになったという。オズボーン氏は、そのコウモリを観客の投げたおもちゃだと思ってかみついたと主張した。 また、酒と薬物の摂取量は伝説的であり、奇行に走ることもしばしばあった。ロックバンド「モトリー・クルー」はかつて、誰が最も退廃的な行動を取れるかを競った際、オズボーン氏がホテルの床にいたアリの列を吸引したと証言している。 しかし、これらの依存には暗い側面もあった。1989年、オズボーン氏は2番目の妻であるシャロン氏の殺害未遂容疑で逮捕され、目を覚ましたときには拘置所にいたという。 逮捕後、裁判所はオズボーン氏に対し、6カ月間のリハビリ施設での治療を命じた。シャロン氏は、オズボーン氏が反省していると信じ、告訴を見送った。 2020年のドキュメンタリー番組「The Nine Lives of Ozzy Osbourne」で、シャロン氏は当時を振り返り「私は彼に『お金なんていらない。でも、もしまた同じことをしたら、私があなたを殺すか、あなたが私を殺すかのどちらかになる。子どもたちがいるのにそんなことをしたいのか』と言った」と語った。 1990年代に入ると、米MTVのリアリティー番組「オズボーンズ」の放送により、オズボーン氏のイメージは一変した。番組では、混沌(こんとん)とした家庭を率いる、善意的だがしばしば手に負えない大黒柱として描かれた。 オズボーン氏は、これこそが本来の自分の姿だと述べている。 1992年の米紙ニューヨーク・タイムズの取材では、「ステージ上のあれこれ、狂気じみたことは全部、自分の役割として演じているだけだし、私の仕事だ。私は反キリストじゃない。家庭的な人間だ」と語った。 「オズボーンズ」は、マネージャーでもある妻シャロン氏や、子どもたちのジャック氏とケリー氏にもスポットを当て、彼らも一躍有名になった。2003年には、オズボーン氏はケリー氏と共にブラック・サバスの楽曲「チェンジズ」をデュエットし、チャート1位を獲得している。 しかし同じ2003年、オズボーン氏は全地形対応車(ATV)による事故で脊椎を損傷する重傷を負った。 この負傷は、2019年に深夜に転倒したことで悪化し、複数回にわたる大規模な手術を受けることとなった。 一方で2018年には、オズボーン氏はアルコールと薬物を断ち、ツアー中心の生活についても控える意向を示した。 同年のオズフェストのプロモーション中にオズボーン氏は、記者に対し「今は孫もいるし、もう70歳だ。どこかのホテルの部屋で死んでいるなんてことにはなりたくない」と語っていた。 2020年には、自身がパーキンソン病と診断されていたことを公表。2022年の英連邦競技大会(コモンウェルス・ゲームズ)の閉会式での演奏を最後に、ツアー活動からほぼ退いていた。 それでもオズボーン氏は、最後のステージに立つことを強く望み、今月5日、故郷バーミンガムのヴィラ・パークで別れのコンサートを開催した。会場は、同氏が幼少期を過ごしたアストン地区からほど近い場所にある。 この日、オズボーン氏は黒い玉座に座ったまま歌い、「クレイジー・トレイン」、「ミスター・クロウリー<死の番人>」、「ウォー・ピッグス」などの代表曲を披露。手をたたき、腕を振り上げ、目を見開くなど、往年のスタイルでヒット曲を熱唱し、かつての魔法を見事に取り戻した。 一部の場面では、感極まった様子も見せた。観客と、ライブ配信を視聴した約600万人に向けて、「自分が今どんな気持ちか、みんなには想像もつかないだろう。本当に心の底からありがとう」と語った。 このコンサートで共演した、パンテラのフロントマンであるフィル・アンセルモ氏は、この場にいるアーティストたちは、オズボーン氏とブラック・サバスがいなければ「まったく違う人間になっていただろう」と述べた。 「それが真実だ。ブラック・サバスがいなければ、私はこのマイクを手にしてここに立っていない。史上最高の存在だ」 ■「真のロックレジェンド」 ローリング・ストーンズのロニー・ウッド氏や、メタリカをはじめとする多くの著名人が、オズボーン氏への追悼の意を表している。 オズボーン氏と共にブラック・サバスを立ち上げたトニー・アイオミ氏は、ソーシャルメディアで「本当に言葉が見つからない」と述べた上で、「私たちは兄弟を失った」とバンドメンバーとしての思いをつづった。 ベーシストのテレンス・「ギーザー」・バトラー氏は、「さようなら、親愛なる友よ。長年ありがとう。楽しかったな。アストン出身の4人の若者が、まさかこんなことになるなんて、誰が想像しただろう?」と別れを告げた。 サー・エルトン・ジョンは、オズボーン氏を「親しい友人であり、ロックの神々の殿堂にその名を刻んだ偉大な先駆者だ。真のレジェンドだ」と称賛した。 また、数週間前のコンサートでブラック・サバスと共に「チェンジズ」をカバーしたヤングブラッド氏は、オズボーン氏を「伝説」と呼び、「こんなに早く去ってしまうなんて思わなかった」と追悼の言葉を述べた。 クイーンのギタリスト、サー・ブライアン・メイは「世界はオジーの唯一無二の存在感と、恐れを知らぬ才能を惜しむことになるだろう」と述べ、オズボーン氏の最後のコンサートの後に「静かに言葉を交わせたことに感謝している」と付け加えた。 グリーン・デイのボーカル、ビリー・ジョー・アームストロング氏は、インスタグラムにオズボーン氏の写真を投稿し、「言葉が出ない。愛してるよ、オジー」と記した。 サー・ロッド・スチュワートは、「さようなら、オジー。安らかに眠ってくれ、友よ。上でまた会おう――なるべく遅くであってほしいけれど」と語った。 ヴァン・ヘイレンの元フロントマンで、ブラック・サバスの最後の公演にも出演したサミー・ヘイガー氏は、オズボーン氏は「唯一無二の存在であり、真のロックレジェンドだ」と語った。 オズボーン氏には、妻シャロン氏と、エイミー氏、ケリー氏、ジャック氏の3人の子ども、そして複数の孫がいる。また、最初の結婚で授かったジェシカ氏、ルイ氏、エリオット氏の3人の子どももいる。 (英語記事 Ozzy Osbourne dies, weeks after farewell show/Obituary: Wild life of Ozzy Osbourne, rock's 'prince of darkness')

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