第2次世界大戦の末期、ソ連軍に恐れられた旧日本軍のゲリラ部隊が存在した。彼らはソ連軍から決死隊を意味する「スメルトニク」と名付けられ、1945年8月15日以降も激戦を繰り広げたとされる。最終的に肉弾戦をも辞さなかったという恐怖の部隊は、どのような戦いを繰り広げたのか。『 満州スパイ戦秘史 』(永井靖二著、朝日新聞出版)から一部抜粋し、お届けする。(全3回の1回目/ 続きを読む ) ◆◆◆ 関東軍の幹部らが右往左往の末に降伏を決めた後も、抗戦を続けた部隊は存在した。有名な例として、東部国境に築かれた虎頭要塞の守備隊がある。彼らは1945年8月26日まで戦闘を続けた。要塞に身を寄せた開拓団員も含め、立てこもった2500人余のうち53人しか生き残らなかった。その戦いは、「第2次世界大戦最後の激戦」と呼ばれている。一方、守勢に回るのではなく、ソ連軍の後方をかき乱すことだけを目的とした部隊の存在は、これまで注目されることは少なかった。 それは、関東軍が従来信奉していた「銃剣突撃主義」をかなぐり捨てて編成した、ゲリラ部隊だった。部隊長をはじめ、編成や訓練にあたった複数の将校の肉声が、クックス博士の証言録音に含まれていた。これらの部隊の行動は、公刊戦史には記されていない。