独裁政権によって家族から引き離され、実の母を知らずに育った米女性 40年後に再会

米フロリダ州マイアミで育ったアダマリー・ガルシアさん(40)は、実の家族を知らずに40年間暮らしていた。だがある日、自分が南米チリのキンテロで暮らす女性の娘であることをDNA検査によって知った。 ガルシアさんは自分が残忍なチリ独裁政権のもと、実の親から引き離された子供たちの1人であるとは夢にも思わなかった。人権団体によると1973年から90年まで続いたチリのピノチェト独裁政権下で、何千人もの子供たちが実の親から引き離され、外国の家庭に養子として引き渡されていた。これは政権が貧困対策として養子縁組を奨励していたためで、そこへ病院や司法の関係者が子供たちを奪い、不正な利益を得ていたとみられている。 ガルシアさんは今年2月、チリの首都サンティアゴに飛び、ついに実の家族と対面した。彼女は空港で実母のエディタ・ビザマさんに迎えられて泣き崩れた。 <DNA検査で実の家族が見つかる> 独裁政権当時の不法な養子縁組によって引き離された親子の再会を支援するNGO「ノス・ブスカモス(私たちはお互いを見つける)」によると、生まれたばかりの何百人もの赤ちゃんが実の親から奪われ、1人1万―1万5000ドルで海外に売られていったという。実の親には赤ちゃんは死んだなどと説明されていた。 ガルシアさんが自身の出生に関する調査を決意したきっかけは、同じように実の家族から引き離され、米国で養子として育てられていたタイラー・グラフさんに関する記事を読んだことだった。 自分の生い立ちについて知ったグラフさんは、後に実の家族と再会。そしてテキサス州で消防士として働く傍(かたわ)ら、NGO「コネクティング・ルーツ」を設立した。DNA検査機関の協力を得て、自分と同じように幼いうちに実の家族と引き離された人々の再会を支援している。 「すぐにタイラーさんに連絡を取った。それからはジェットコースターのような日々が続いた」とガルシアさんは振り返る。 ガルシアさんはDNA検査によって実の家族を見つけると、コネクティング・ルーツが主催する4回目のサンティアゴ訪問に参加した。奪われた子供たちを実の家族と再会させるのが訪問の目的だ。 <世界を震撼させたチリのクーデター> 1973年9月11日、チリでは陸海空軍と警察がクーデターを起こしてサルバドル・アジェンデ大統領の左派政権を打倒し、世界に衝撃を与えた。その後20年にわたる軍政が始まり、多数の人々が弾圧によって殺害される事態に発展した。 クーデターの指導者アウグスト・ピノチェトは、1980年代にかけて大半の南米諸国で誕生した親米右派の独裁者の先駆け的な存在。チリに市場経済モデルを根付かせた一方で、数多くの逮捕や拷問、失踪事件を起こした時代の指導者として特徴付けられている。 複数の人権団体によると、ピノチェト政権下で何千人もの子供たちが実の親から引き離され、外国の家庭に養子として引き渡されたとみられている。ピノチェトは、貧困を減らす目的で養子縁組を奨励していた。さらに医療関係者や聖職者、判事などが、だましたり親に圧力をかけて子供たちを奪い、不正な利益を得ていたと考えられている。 <涙の再会、そしてこれからも> ガルシアさんの実母であるエディタ・ビザマさんは、2025年2月24日にサンアントニオの自宅で娘を温かく迎え入れた。彼女はガルシアさんを出産した後、病院から別の場所に連れ出されたという。そこでソーシャルワーカーから「経済的にも生活の安定の面でも子供を育てるのは難しい」と強く説得され、養子に出すよう圧力をかけられたと語った。追い詰められたビザマさんは、泣く泣く娘を養子に出すことに同意したという。 「腕の中からわが子を奪われた女性たちが大勢いる。私もその1人だ」とビザマさんは語った。 涙の再会を果たしたガルシアさんと母、そして3人のきょうだいは、独裁政権によって引き裂かれた家族の絆を取り戻すため、今後は頻繁に会うことを計画している。 「今、私の心は満たされている。4人の子供たちがそろった。本当に幸せで、言葉にならないほどうれしい」とビザマさんは涙ぐみながらも、その表情は希望に満ち溢れていた。 (制作:Nicolas Cortes, Gloria Lopez 翻訳・字幕:新倉由久) この記事はロイターとYahoo!ニュース ドキュメンタリーの共同連携企画です。

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