手塚治虫先生の不朽の名作『ブラック・ジャック』には、現在、単行本に収録されていない「幻の回」があります。どのような話か、ご存知でしょうか? 『ブラック・ジャック』は何度も単行本化されています。初期の少年チャンピオンコミックスには、いくつか収録されなかったエピソードがありました。これは当時のコミックではよくあったことです。『ドラえもん』にも単行本に収録されなかったエピソードがいくつもあります。 決定版と言えるのが、2012年に刊行された『ブラック・ジャック大全集』(復刊ドットコム)です。雑誌掲載時と同じ順番で、それまでの単行本のなかでも最も多くのエピソードを収録していますが、それでも収録されなかった3つが「幻の回」ということになります。 ※以下、エピソードの結末にふれています。 ひとつ目は、第28話「指」(「週刊少年チャンピオン」1974年6月24日号掲載)です。少年時代の「ブラック・ジャック」は車いす生活を送っており、多指症で周囲から差別されていた「間久部緑郎」と、お互い励ましあって過ごしていました。その後、犯罪組織のボスになり、指名手配中だった間久部は、指紋を変えてくれるようブラック・ジャックに頼みます。指ごと交換する手術は成功しますが、間久部は口封じのためにブラック・ジャックを殺害しようとします。 逮捕された間久部は証拠の指紋がないので無罪を主張しましたが、九死に一生を得たブラック・ジャックから証拠が届きます。それはかつて学生時代にブラック・ジャックが切除した間久部の6本目の指でした。指紋も照合可能になり、間久部は追いつめられます。ブラック・ジャックは友情のむなしさを感じながら立ち去っていきました。 「指」は一度も単行本には収録されていません。第227話「刻印」に改作されて収録されています、間久部が多指症で差別されていた部分と、証拠の指の部分、エンディングの部分が差し替えられたストーリーになっていました。ほとんど同じストーリーですから、単行本に収録されなくなったのもうなずけます。 ふたつ目は、第41話「植物人間」(同1974年9月23日号掲載)です。豪華客船が事故に遭い、手当の遅れた母親が脳死状態になってしまいます。幼い息子の懇願を聞き入れたブラック・ジャックは、母親の脳がまだ生きているかもしれないと考え、周囲の医師の反対を押し切って、息子の脳と母親の脳をつなぐ手術を決行。そして、脳に電流を流すと、息子は涙を流し始めます。 手術後、息子は真っ暗ななかで母親に会ったことを語りました。母親は息子を抱きしめながら、「ええ生きてますとも 死んでなんかいないわ」「おかあさんのきずはね いまのお医者にはけっしてなおせないわ」と語りかけ、医者になりたいと言っていた息子を「お医者になったらおかあさんをなおしてね」と励まして姿を消しました。手術に反対していた医者はうなだれますが、医者になると強い決意を示す息子を背にブラック・ジャックは黙って病室を出ていきました。