スパイク・リーは黒澤明名作をどうリメイクした? 『天国と地獄 Highest 2 Lowest』の選択

映画史に大きく刻まれる巨匠にして、いまでも世界中の映画人の尊敬を集めている、映画監督・黒澤明。その人気作『天国と地獄』(1963年)を、アメリカの人種問題を中心に絶えず刺激的な作品を提供してきたスパイク・リー監督がリメイクした、『天国と地獄 Highest 2 Lowest』が、Apple TV+からリリースされた。 もともと映画『天国と地獄』は、アメリカの作家エド・マクベインの小説を翻案したもの。だから、この題材がアメリカ映画として蘇ることに、大きな支障はないはずだ。さらにテーマとなる経済格差は、それがより顕著なものとなっている現在こそ強く響く問題である。ここでは、そんな本作『天国と地獄 Highest 2 Lowest』が描いたものが何だったのかを、できるだけ深く掘り下げていきたい。 ※本記事では、映画『天国と地獄 Highest 2 Lowest』、および『天国と地獄』のストーリーを明かしています 黒澤明監督の『天国と地獄』の主人公は、横浜の靴会社重役・権藤(三船敏郎)だった。ある日、彼は息子を誘拐したという人物から大金を要求される。だが、実際に誘拐されたのは、誤って連れ去られた、権藤の運転手の息子の方だった。身代金を払うかどうかで葛藤する権藤が、警察と協力して犯人を追っていくというのが、基本的なストーリーだ。 前半と後半ではトーンが変化し、高台の豪邸(天国)とスラムの貧困(地獄)を対比しながら、刺激的な娯楽サスペンスから、日本の階級格差が描かれるといった社会的テーマへとシフト。権藤と犯人は最終的に対峙し、互いの人間性が浮き彫りになる。また、劇中のモノクロ映画としての、度肝を抜く“実験的演出”は、多くの観客を魅了した。 スパイク・リー監督は、こういったストーリーの流れを踏襲しながらも、設定を改変することで、印象を大きく異なるものにしている。主演のデンゼル・ワシントンが演じるのは、ニューヨークの音楽業界の大物、デヴィッド・キングだ。彼は、商業性に偏りすぎた軽薄な音楽や、AIによる音楽制作を苦々しく思っているなど、音楽の在り方に健全な問題意識を持っていることが描かれる。だからこそ彼は、自分の会社の支配権を維持するための自社株買収に資産を投じようとしていたのだ。 とはいえ、それは音楽業界の趨勢に逆らい、独自の道を進もうとする危険な賭けでもある。果たして大衆は、彼の求める“本物の音楽”を支持するのか。不安をおぼえさせる幕開けである。だが、それがリスクをともなう困難な道だからこそ、観客は一気にキングのキャラクターに感情移入できる。演じるデンゼル・ワシントンの情熱的な態度や、理知的なユーモアが反映された語りは、役柄の魅力を最大限に引き出している。 デンゼル・ワシントンは、輝かしいキャリアを持つ名優だが、今回のデヴィッド・キングというキャラクターは、彼が演じてきたなかでも、とくに相性の良さが見てとれる。風格はもちろんのこと、ワシントン本来の軽快さをも利用しながら、三船敏郎の役柄以上の魅力を生み出しているといえるだろう。この、スパイク・リーとワシントンとの関係が生み出す空気とリズムが心地よい。 マクファデン&ホワイトヘッドの「Ain’t No Stoppin’ Us Now」を自身のテーマ曲にし、「誰も俺たちを止められない」という歌詞に乗って、アゲアゲの勢いでブルックリン・ブリッジを渡りマンハッタンの会社へと向かい、困難な交渉に挑むキングの姿が印象的だ。だからこそ、ジェフリー・ライト演じる運転手の息子のために大金を投じることに葛藤する、一見酷薄にも見える態度にリアリティと同情がともなう。 苦難の局面で、キングが尊敬する偉大な黒人アーティストたちの写真に向かって、「あなたならどうする?」と語りかける場面は、それぞれの写真が大写しになるという露骨な表現も含め、やはり『マルコムX』(1992年)に代表される、スパイク・リー監督ならではの味だといえよう。そこで立ち上がってくるのが、人種としての連帯意識と、彼らに共通する高貴な“魂”である。これが、最近の音楽の潮流の問題にも関係してくる。

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