〈判決は…〉“フラれた相手に似ていた”と19歳少女を惨殺してバラバラに…「俺が悪いんじゃない」“異常者”と呼ばれた29歳男が法廷でとった“驚きの行動”《1954年・人違いバラバラ殺人》

〈「女としての価値をなくしてやろう。死んでも動けなくしてやろう」見知らぬ19歳の少女を殺してバラバラにした自称画家(29)の“身勝手すぎる”犯行理由〉 から続く 1954(昭和29)年に起きた「人違いバラバラ殺人事件」。惚れた女性への「ストーカー」行為に始まり、その女性と間違えたという通りすがりの女性を殺して“解体”した男の犯行は、「猟奇的」「変態」などと騒がれた。 「異常性格」とされた男に見られる強烈な執着心と刹那的な言動、激しい自己顕示欲などは、70年後の現在の犯罪を先取りしたようにも思える。男はどのようにして犯行に及んだのか。下された判決は? 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。被害者らは仮名にする。(全3回の3回目/ はじめ から読む) ◆ ◆ ◆ 殺人、死体損壊、死体遺棄が問われた12月25日の初公判。傍聴人が朝4時から押しかけ、傍聴券は60枚発行された。検察側は動機を「そっくりなため間違え」とした起訴状を朗読。古屋は「大体間違いありません。結婚の約束をしたのに姿をくらましたので、あんなことになったのです」と犯行を認め、責任を転嫁した。 翌1955(昭和30)年2月16日の第3回公判では、古屋が「結婚の約束をした」という女性本人が証言。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする