伊藤忠を辞めて"クリーンな市長"になった男の誤算…「年収1500万円」でも妻が不満をぶちまけたワケ

市長の給料とはどのくらいなのか。千葉県の鎌ケ谷市長を5期19年間務めた清水聖士さんが、市長の仕事を赤裸々に綴った『市長たじたじ日記』(三五館シンシャ)より、年収や選挙にまつわる“お金事情”を紹介する――。 ■市長の給料に元同僚が驚いたワケ 市長になってからも、昔の職場(伊藤忠商事と外務省)の同僚たちからときどき飲み会に誘ってもらった。 「市長の給料っていくら?」 飲み会の席ではよくそんな話が出る。公職だからなおさら聞きやすいのかもしれない。 鎌ケ谷市長の年収は税込で1500万円ほど、手取りだと1200万円台だった。金額を正直に伝えると、伊藤忠時代(※1)の仲間は驚いたような顔をして、「意外と少ないんだな」とつぶやいた。 伊藤忠は今や学生の就職人気ランキング1位(※2)の会社で、その社員は日本企業の中でもトップレベルの高給取りだろう。管理職になれば、3000万円ほどの年収になる。私の同期には常務になったものがいて、彼などは億単位の年収のはずだ。自宅以外に仕事用として青山にマンションを買ったと自慢げに(もちろん彼にその気はないのだろうが、私にはそう見えた)語ってくれた。 そういう同期の話を聞くと、伊藤忠を辞めないでいたらどうだっただろうと思わないこともない。妻はたまに「伊藤忠にいればよかったのに」と言う。そんなときは「伊藤忠にいても俺は出世しなかったよ」と言い返すことにしている。 ※1伊藤忠時代……大学3年のときに1カ月ほどカリフォルニア州フリーモントという町にホームステイした。そこでの人との出会いに感動し、海外と関わる仕事に就こうと考え、伊藤忠商事に入社した。入社4年目に海外留学の社内選抜に受かり、受験勉強して、ペンシルベニア大学ウォートンスクールのMBAプログラムに入学した。その後、紆余曲折を経て、外務省に移ることになるのだが、退職を申し出ると、伊藤忠の上司は激怒した。アメリカ留学の費用(おそらく数千万円)を出して育てた人材が恩返しもしないまま流出するのだから当然だろう。でも、市長として長年勤め、少しは社会の役に立っているはずで、もう伊藤忠も許してくれることだろう。 ※2 就職人気ランキング1位……私が入社した1984年当時の伊藤忠はまだ大阪本社の会社というイメージもあり、商社の中では、三菱商事、三井物産、住友商事の財閥系3社に次いで、丸紅と4番手を争うといった感じであった。今、伊藤忠を受けても、私は採用されない気がする。

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