【プレイバック’15】〝恋人の聖地〟の惨劇…「三重女子高生殺人」現場で知人が聞いた加害少年の肉声

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックを今再びふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は10年前の’15年10月23日号掲載の『スクープ! 三重女子高生殺し 現場に呼ばれた1人がすべて語った「加害者少年の全肉声」』を紹介する。 ’15年9月28日、三重県伊勢市で高校3年生の杉村愛唯さん(仮名・当時18)が殺害された。殺人容疑で逮捕されたのは、同じ高校に通う同級生の18歳の少年・A。現場で発見されたAが書いたとみられるメモの内容、そして現場に駆けつけた知人が話す犯行当時のAの様子を伝えたスクープ記事だ(《》内の記述は過去記事より引用)。 ◆メモに残されていた衝撃の言葉 《杉村さんは僕が殺しました》 現場は伊勢神宮の外宮からほど近い、虎尾山の山頂にある記念碑の近くだった。恋愛小説の舞台にもなっていることから、ファンの間で〝恋愛の聖地〟と呼ばれている場所だ。事件発生から1週間後の’15年10月5日、三重県警は加害者少年が書いたとみられるメモが現場付近で発見されたと発表した。メモは遺体が見つかった場所から数m離れたヤブの中から丸められた状態で発見されたという。 《本誌はその「殺害メモ」を独占入手した。タテ10㎝、ヨコ7㎝ほどの白いメモ用紙に、鉛筆らしき筆記具で書かれている。県警は、メモには「自分が杉村さんを殺した」という趣旨の内容が書かれているとしか公表しなかった。しかし、実はメモには続きがあった。2行目以降の部分である。 〈僕も死にます ふるえて文字がう〉 紙の一部が破れて裏側にめくれているが、そこには「僕」という文字が記されている。その後は「ふるえて文字がうまく書けない」と続けるつもりだったのか》 Aはこれを遺書のつもりで書いたのだろうか。 ◆「18歳の誕生日までに死にたい」 《「杉村さんは以前から周囲に『死にたい』と漏らしており、遺体には防御創もなかった。彼女が自らAに殺してくれと頼んだ嘱託殺人だった可能性が高い。犯行後、Aは現場から友人らに連絡をし、自殺をほのめかしています。そのため、心配した友人らが現場にかけつけた。消防や警察が現場に到着したときには、10名ほどが塔周辺にいるという異常な状態になっていた」(全国紙記者)》 このとき現場に駆けつけたのは、杉村さんの彼氏である他高校3年生の男子生徒、Aの彼女で、同じ高校の2年生Bさん、男子高校生2人、杉村さんとAそれぞれの母親ら計8名だった。この8名はメディアの取材にほとんど応じていなかったが、その中の1人(仮にX氏、とする)が事件当時の状況を本誌に語った。 《「最初に現場に着いたのは、加害者少年Aの彼女のBさんだったようです。彼女が到着したとき、Aは放心状態だったものの、彼女に杉村さんの遺体を見せないようにと気づかった。そして、『(胸に刺さっていた包丁は)かわいそうやから、抜いてあげた』と話したそうです」》 杉村さんは高校での成績はトップクラスで、看護系の専門学校への進学を希望していた。所属していた演劇部でも、演技力はバツグンと評判だった。だが、’15年7月に『18歳の誕生日までに死にたい』と、同級生男子と失踪騒ぎを起こす。このときは男子生徒の説得で自殺を思いとどまったようだが、彼女の首には傷がついていたという。 2学期も学校に出席していたものの、消えていなかった杉村さんの自殺願望に応じることになったのがAだ。「おとなしくて、人がいい」と評判で、卒業後は調理専門学校への進学を希望していた。2人は2年生のときに同じクラスだった。3年生になってクラスは分かれたが、「性別を超えた親友だ」と周囲は口を揃える。実はAも親しい人間に「生きててもしゃあない」と自殺願望を吐露していたのだった。 事件前日の27日に、Aは彼女であるBさんと2人で遊んだという。 《「一緒にプリクラを撮ったらしいんですが、そのときAはプリクラに何かを書いていた。『明日の夜見てくれ。いま、見やんで(見ないで)』と言われたので、あとでBさんがこっそり見たら『がんばれ!』とだけ書かれていた。Aが『遊ぶのはこれで最後になる』とつぶやいていたことも気にかかっていたそうです。Aは自分が逮捕されること、もしかしたら死ぬことをその時点で覚悟しとったんやないでしょうか」(Bさんの友人)》 ◆Aが殺害現場で知人らに放った言葉 そして’15年9月28日。杉村さんとAの2人が通う高校は翌日に体育祭、週末には文化祭が予定されていた。午後4時ごろ、クラスメイトたちが文化祭の準備をしている中、2人は学校を抜け出す。Aのバッグの中には自宅の台所から持ち出した刃渡り約20㎝の包丁が入っていた。そして午後5時10分、虎尾山の山頂でAは仰向け状態の杉村さんの左胸に包丁を突き立てたのだった。 犯行直後、AはBさんや同級生の何人かに犯行と自殺を示唆するLINEを送っていた。 《「LINEを見た彼女が驚いて、Aに電話をした。Aの声は別人のようやったそうです。おかしくなりすぎて、笑い声まで上げてたとか。どこにいるのか聞いても場所は教えてくれなかった。それで彼女が『本当に死のうとしてるんやったら、あそこじゃないか』と虎尾山に向かったんです」(X氏)》 前述の通り、最初に現場にたどり着いたのはBさんだった。彼女はAの手を握り、後追い自殺をしないように説得していたという。夜8時ごろには友人や母親たちが山の周辺に到着したが、頂上への登山道がわからず時間がかかった。友人や母親たちが山頂に到着したときは、周囲はもう真っ暗だったという。X氏が証言する。 《「誰かはわかりませんでしたが、杉村さんの遺体を見た人が『瞳孔が開いていて、光にも反応しない』と言った。Aは錯乱していたようで、『お前らのせいや。お前らが(杉村さんを)追い詰めたんや』と叫んでいた。杉村さんのお母さんも相当ショックを受けていたようです。取り乱して、『なんでこんなことになったの!』と大声を出してました」 8名全員が現場に揃ったのは、夜9時を回ったころだったという。 「『警察呼んで。オレ、もう腹決めてるから』とAが言うたので、男子高校生の1人が119番通報をした。杉村さんのお母さんは泣き叫んでいました。お母さんの『あいー! あいー!』という声が耳から離れません」(X氏)》 ◆「理解できない殺人」 ’15年9月28日の夜9時45分ごろ、警察に通報が入り事件が発覚した。翌29日にAは殺人容疑で逮捕された。 警察の取り調べに対してAは「殺してくれと頼まれた。救ってあげようと思った。自分がやらないとかわいそうだと思った」と殺害を認める供述をしていた。親友なのになぜ殺したのか──。長年、刑事畑を歩んできたベテラン捜査関係者も「理解できない殺人」と漏らしていたと、当時の新聞記事では伝えていた。 翌’16年1月に家裁送致となったAは少年審判の途中から「刺したか刺していないか記憶がない」と主張。そのために処分の決定が一時期先送りされる。その後5月に津家裁はAを少年院送致とする保護処分を決定した。 判決では「少年は精神的に追い詰められ正常な判断が困難な心理状態に陥っていた」と指摘。「死にたい」と考えていたAに杉村さんが包丁を持ってくるように依頼したことなどが、強い影響を与えたとしたうえで「犯した罪と向き合おうとする姿勢をみせていない」として、相当長期間の矯正教育が必要とする処遇勧告を付けたのだった。 現場となった「記念碑」は、橋本紡氏作のライトノベル『半分の月がのぼる空』に登場する場所のモデルとされており〝恋人たちの聖地〟だった。だが、当時の同級生の証言によれば「2人がこの場所を選んだのは、単に邪魔が入る可能性が低いと思ったからでは」という。 10年前の9月28日に、杉村さんとここに登ってきたときのAはどんな心境だったのだろうか。

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