首相や内閣に対する評価は、時代とともに移り変わるものである。ある時期までは軽視ないし酷評されたにもかかわらず、時代が変わって再評価されるようになった政治家や政権は枚挙に遑(いとま)がない。 この10年ほどでの例を挙げれば、「角栄ブーム」が典型的なそれである。ロッキード事件で逮捕された後の田中角栄は、少なくとも公的な場では長らく、金権政治家の代名詞、闇の権力者といった暗いイメージで語られていた。「田中(派)的なもの」はすなわち戦後政治の悪弊であり、改革すべき対象と見なされてきたのである。だが、その角栄が近年になって、一個の「天才」(石原慎太郎)、官僚政治の枠を破る豪傑、庶民の生活を重視したリベラル派として、肯定的に語られるようになった。何より、首相まで務めた石破茂氏が隠すことなく敬意を表していたことに、角栄の社会的「復権」が象徴されている。 その石破氏の政権が、約1年という短命であえなく倒れた。時評担当者である筆者は、のちに評価が変わりうると知りながらも、同時代の空気を伝え残すべく、この政権への講評を書いておかねばならない。 まず内政面では、石破内閣は後世まで語られるような大した仕事を残さなかったと言わざるを得ない。参院選前に自ら宣伝したところでは、「石破内閣の主な実績」は「米の価格高騰対策」「高校の授業料無償化」「「103万円の壁」見直し」の3点だという(自民党ホームページ)。だが、最初の施策は見方によってはマイナス状態をせいぜいゼロに戻しただけであるし、後の二つについては野党の要求を呑まされただけで、「石破内閣の実績」と受け取る者はいるまい。地方創生や防災庁設置といった首相の肝いり政策は、実質的に日の目を見る前に、政権自体がつぶれてしまった。 他方、外交の面では、石破内閣は参院選後にひとつ見せ場を作った。米国トランプ政権との関税交渉合意である。筆者はこの合意内容そのものを評価する能力を持たないが、野党リーダーを含め、肯定的に評価する向きが多いようである。だがこの「成果」も、言ってみれば外から唐突に突き付けられた不利益の幅を減らしたに過ぎないのであって、内閣が戦略的、主体的に求めて得たものではもちろんない。 あえてもうひとつ付け加えると、石破政権は米と関税の問題を除いてほとんど「やってる感」を示さなかった一方で、後世に悪名を残すような決定的失政を犯したわけでもなかった(なお本稿は、筆者がリスキーと考える「戦後80年見解」の発表前に書かれている)。これは、国内外とも混迷をきわめる現況において、決して当たり前のことではないのかもしれない。だがそうした「足踏み」政権に対して、同時代の人間として筆者は満足できなかったし、他の多くの国民もそう見ていたからこそ石破内閣は短命に終わったのである。 この政権が、後世どのように評価されることになるかは分からない。それはひとえに、後の政権のふるまい方や、国内外の情勢如何による。角栄再評価の背景にあったのは、「改革の時代」後に日本社会を覆った閉塞感であったろう。閉塞的状況を打ち破る、「決断と実行」のリーダーへの期待感と言ってもよい。今後「石破的なもの」が高く評価され直すことがあるとすれば、それは極端で積極的すぎるリーダーが国の進路を誤ったときかもしれない。だとすれば、石破氏には気の毒であるが、彼の首相としての評価は微妙なままに置かれるのが望ましいことになろう。 (『中央公論』2025年11月号より) 境家史郎(政治学者) 〔さかいやしろう〕 1978年大阪府生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門は日本政治論、政治過程論。首都大学東京(現・東京都立大学)法学部教授などを経て、現職。著書に『憲法と世論』『戦後日本政治史』など。