「内乱」中核となる3グループの裁判、1月に一審判決…真の断罪の時間=韓国

4月4日、憲法裁判所は尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領の罷免を決定した。憲法裁は弾劾裁判で、非常戒厳宣布は実体的・手続き的要件に違反し▽国会に軍と警察を投入して国軍の政治的中立性を侵害すると共に、憲法にともなう国軍統帥義務に違反し▽布告令は憲法と戒厳法、令状主義に違反して国民の政治的基本権、団体行動権、職業の自由などを侵害したと判断した。また、選挙管理委員会に対する令状のない家宅捜索は、令状主義に違反して選管の独立性を侵害したものであり▽前最高裁長官と前現職最高裁判事の逮捕のための位置追跡の試みは、司法権の独立を侵害したものだとし、重大な法違反があったと判断した。「現職の大統領」という固い鎧が剥がれた尹前大統領を待っているのは刑事的断罪だ。刑事裁判は、より厳格な証明を要求するため、ゆっくり進められる。尹前大統領など内乱の中心勢力に対する一審裁判は、12・3戒厳宣布から1年が過ぎてようやく大詰めを迎えている。 ■尹前大統領「内乱ではない」と主張するが 尹前大統領には法廷最高刑が死刑である内乱首謀の容疑が適用されたが、依然として12・3非常戒厳は内乱ではなかったと主張している。ソウル中央地裁刑事25部(チ・グィヨン裁判長)が担当する12・3非常戒厳の「本案」裁判の軸となるのは、内乱であるかどうかに対する判断だ。裁判部は、尹前大統領、キム・ヨンヒョン前国防部長官(ノ・サンウォン元情報司令官など)、チョ・ジホ警察庁長(キム・ボンシク前ソウル庁長など)の3つのグループに分けて裁判を進めている。刑法で内乱は「大韓民国領土の全部または一部で国家権力を排除する、あるいは国憲を乱す目的で暴動を起こす時」に成立するもので、「国憲を乱す」とは「憲法によって設置された国家機関を強圧によって転覆またはその権能行使を不可能にすること」を意味する。したがって内乱裁判の細部争点は、(1)非常戒厳の事前の謀議(2)国会封鎖および国会議決妨害の試み(3)政治家など逮捕者リストの作成および運営(4)中央選挙管理委員会などを占拠・サーバーの搬出および主要職員などに対する逮捕の試みの有無となった。「チョ・ジホ裁判」では(2)と(3)の争点、「キム・ヨンヒョン裁判」では(1)と(4)の争点、「尹錫悦裁判」では全争点を集中的に審理するかたちだ。 国会を無力化しようとした試みは明白な内乱の証拠であり、これを裏付ける証言が法廷で多数出た。イ・ジヌ前首都防衛司令官の副官だったオ・サンベ大尉は、尹前大統領の裁判で「大統領がイ前司令官に『本会議場に入って4人1組で1人ずつ背負って出てこい』、『銃を撃ってでもドアを壊して入れ』などの指示を下した」と述べた。クァク・チョングン前特殊戦司令官も「(尹前大統領が電話で)国会のドアを壊して中にいる人員を引きずり出せと言うのを聞いた。はっきり覚えている」と述べ、クァク前司令官の指示がイ・サンヒョン第1空輸特戦旅団長に、またキム・ヒョンギ特戦隊長へと伝えられ、現場に伝播された事実も法廷で明らかになった。 戒厳軍の中央選挙管理委員会への侵入も重要事案だ。当時、中央選管委の派遣職員は法廷で「(戒厳軍が選管委の)サーバー室のドアを開け、中に人がいるかどうかを捜索した。 中佐の一人が私の携帯電話を持っていった」として、戒厳軍が令状なしに押収が行われたことを証言した。チョン・ソンウ前防諜司令部第1処長は「ヨ・インヒョン前防諜司令官が(選管委への進入は)大統領とキム前長官の指示だとはっきり言った」と述べた。 ■ホン・ジャンウォン前次長が「被告」と呼んだ理由 尹前大統領の内乱裁判は罷免後の4月14日から始まった。「チ・グィヨン裁判部」の拘束取り消しとシム・ウジョン前検察総長の即時抗告放棄で、尹前大統領が釈放された後だった。不拘束状態で尹前大統領は比較的誠実に裁判に出席していたが、7月10日に特検チームに再拘束された後からは裁判をボイコットした。拘置所から出ることを拒み、16回も裁判に出席しなかった尹前大統領は、10月30日から再び裁判に出席し始めた。クァク前司令官が証人として出席した日だった。同日、クァク前司令官は、尹前大統領が昨年10月1日、軍司令官らと晩餐を共にしながら非常大権を言及したと証言したが、尹前大統領は当時は非常大権という言葉が出る雰囲気ではなかったと反論した。尹前大統領は当時、キムチやベーコン、卵焼きをつまみに爆弾酒を数杯飲んだ話まで持ち出した。クァク前司令官が当時泥酔しており、記憶が間違っているという趣旨の主張だった。 非常戒厳当日、尹前大統領から「全員捕まえろ」と電話で指示されたことを暴露したホン・ジャンウォン前国家情報院第1次長に対しても、尹前大統領は直接尋問を試みた。11月20日の裁判で尹前大統領は、非常戒厳当日にホン前次長に位置追跡への協力を要請したヨ・インヒョン前司令官について、「位置追跡は令状なしではできない」「司令官という者が捜査の基礎も知らないと思わなかったのか」と述べ、ヨ前司令官を誹謗した。さらに「大統領は検察総長まで務めた人間なのにどうしてこんなことをさせ、ヨ前司令官は指示を受けてこんなことを要請するなんて辻褄が合わないのではないか」とも述べた。これに対しホン前次長は「大統領が指示もしていないのに、一介の軍司令官が李在明(イ・ジェミョン)野党代表、ウ・ウォンシク国会議長、ハン・ドンフン与党代表を逮捕・拘禁して尋問するなどと言うだろうか」と問い返した。それと共に「被告、部下に責任を転嫁するのではないですよね。ヨ・インヒョンがなぜそのような要請をしたのですか」と述べた。これまで憲法裁の法廷で、ホン前次長は尹前大統領に会うたびに黙礼をし、丁寧に礼遇してきた。しかし、自分の罪を免れようとして部下に責任を押し付ける尹前大統領はこの日、ホン前次長から「被告」と呼ばれるはめになった。 尹前大統領は、重要証人が出るたびにマイクを握って積極的に尋問に当たっているが、思う通りの証言が出るかは分からない。尹前大統領の内乱裁判の証人として4日にはムン・サンホ前情報司令官、キム・ヨングン前陸軍大佐、8日にノ・サンウォン元情報司令官、15日にはイ・ジヌ前首都防衛司令官が出席する。今月末までに証人尋問を終えれば、それぞれ進められた3つの裁判が12月29日に一つに併合され、内乱被告たちが一つの法廷に立つことになる。 来年1月5、7、9日には最終弁論と被告人尋問を経て、裁判は最終手続きに入る。1月12日に特検が尹前大統領ら内乱被告人に求刑をすれば、一審裁判は判決の手続きだけが残る。 ■内乱が終わっても外患が 非常戒厳宣布に関する国務会議の違法性に対する判断は、本案より先に出るものとみられる。積極的な訴訟指揮で裁判の進行に拍車をかけたソウル中央地裁刑事33部(イ・ジングァン裁判長)は11月26日、ハン・ドクス前首相の内乱首謀ほう助容疑事件の結審公判を開き、特検は懲役15年を求刑した。来年1月21日に下される裁判部の判断が、12・3非常戒厳に対する初めての法律的判断になる。刑事32部(リュ・ギョンジン裁判長)は、イ・サンミン前行政安全部長官の内乱加担容疑を審理している。 12・3非常戒厳後の捜査過程で、尹前大統領が逮捕状執行を阻止し、軍司令官の盗聴防止機能付き電話(秘話フォン)の内訳を削除するよう指示した疑いなどは、刑事35部(ペク・テヒョン裁判長)で審理中だ。これで終わりではない。チョ・ウンソク特検チームは、非常戒厳の名目のために「無人機平壌(ピョンヤン)浸透」作戦を敢行し、大韓民国の軍事上の利益を阻害したという疑い(一般利敵)で、尹前大統領とキム・ヨンヒョン前国防部長官らを11月10日に起訴した。特検チームは裁判部に来年1月18日に拘束期間が満了する尹前大統領の追加拘束を要請し、裁判部は23日に審問を通じて尹前大統領の拘束期間延長(6カ月)の可否を決める。 海兵隊員C上等兵殉職事件に対する外部からの圧力疑惑を捜査するイ・ミョンヒョン特検チームが職権乱用と犯人逃避の疑いで尹前大統領らを起訴した事件も、近くソウル中央地裁で裁判が始まる。C上等兵事件を捜査する海兵隊捜査団と国防部調査本部に圧力を行使し、その主要被疑者であるイ・ジョンソプ元国防部長官を駐オーストラリア大使に任命して逃避させた疑いだ。 オ・ヨンソ、チャン・ヒョヌン、イ・ナヨン記者 (お問い合わせ [email protected] )

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