令和4年7月の安倍晋三元首相銃撃事件で、殺人などの罪に問われた山上徹也被告(45)の18日の論告求刑公判。検察側が無期懲役を求刑したのに対し、弁護側は「最も重くとも懲役20年までにとどめるべきだ」と主張した。「政治を動かす意図はなく、純粋に個人的な動機による犯行」などと訴えた弁護側の最終弁論の主な内容は次の通り。 ◇ 被告は、1人の貴重な生命を奪った。有罪判決を受けて一定期間服役するのはやむを得ない。そのことは、被告も十分理解し、受けいれている。検察官は無期懲役を求刑をしたが、あまりに重すぎ、失当である。 ■被告は「宗教が関わった虐待の被害者」 まず、被告が最終的に安倍氏を殺害するに至った経緯、動機について、被告をどれだけ非難できるか。この点を考えるには、宗教が関わった虐待の被害者であるという視点が必要不可欠だ。未成年までさかのぼる悲惨ともいうべき境遇が動機と直結している。 母親の旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)への多額献金で家庭は崩壊した。動機の出発点は、将来を絶望して自死した被告の兄の不幸な人生に責任を感じ、旧統一教会の最高幹部を襲撃することで何とか旧統一教会に一矢を報いたいということだった。 標的が安倍氏に向かったことは、旧統一教会を知らない一般人には理解しにくい面があるのは事実。しかし、(被告の)妹の証言でも明らかな通り、旧統一教会を知る者は、相応の根拠をもって安倍氏がほかの政治家に比べて旧統一教会と関係の深い有力政治家であると認識していた。 そのような状況で、友好団体に安倍氏がビデオメッセージを寄せ、韓鶴子(ハンハクチャ)総裁の名前を挙げて「敬意を表する」と述べたことは被告のみならず、宗教2世たちにとっては、改めて安倍氏と旧統一教会との関係の深さを思い知らされた出来事だった。 元首相のような有力政治家が称賛するのであれば、旧統一教会の活動は政治権力によって承認され、今後も称賛される団体として存続していき、被害も拡大していく、それならば自分たちはもう救われないという絶望感を抱くのも無理はない。 被告は、旧統一教会を恨みながら自死した兄のことを思い、他方で旧統一教会信者の観点から一歩も出ようとせず、兄の死を冒瀆(ぼうとく)するように感じられる母の言動に接し、改めて自分の人生を根こそぎ奪った旧統一教会に打撃を与えるために旧統一教会の幹部の殺害を決意し、それが不可能とみるや旧統一教会と最も関係が深かったと認識されていた安倍氏に標的を向けた。