戦争終了後、銀行はどんな業務に追われるのか「知られざる実態」…占領されて起こること

なぜ国力差が大きいのに、長期総力戦が可能だったのか? 金融による「国力の水増し」はいかにして行われたのか? 戦争の「舞台裏」で奮闘した銀行員たちの姿を描いた話題書『太平洋戦争と銀行』著者で防衛研究所主任研究官の小野圭司に話を聞いた。 ──『太平洋戦争と銀行』では重要な銀行のひとつとして、横浜正金銀行(三菱UFJ銀行の前身)が登場します。これはどんな銀行だったのですか? 小野 横浜正金銀行は明治時代初頭にできた銀行です。当時、日本も貿易をするにあたって、お金の決済をやらなければいけなかったのですが、イギリスやアメリカの銀行に依存していた。 そうすると彼らに有利な条件をつけられます。だから日本の貿易の決済は日本の銀行が行い、公平な条件をつけて決済できるようにと、政府肝いりで設立されたのです。 完全に民間銀行ではあるのですが、政府の色彩が強い銀行でした。政府系銀行のトップは総裁という肩書きがつきますが、横浜正金銀行の場合は頭取です。 ──そこは民間と一緒。でも国際的な業務に常に従事してきた金融機関で、トップエリートたちが多く所属していて、BISにエリート中のエリートを送っていた。 小野 BISの日本人理事は、初めは日本銀行から派遣されていたのですが、途中から横浜正金銀行のロンドン支店長が兼務するかたちに変わりました。ただし戦争が始まって横浜正金銀行ロンドン支店は閉鎖されると、ベルリン支店長・ベルリン駐在の取締役がBISの理事になりました。 ──横浜正金銀行は戦後すぐ閉鎖されてしまうのですか? 小野 しばらくは残りますが、GHQの閉鎖機関に指定されました。横浜正金銀行には戦争に協力したという認識はないのですが、GHQにしてみると戦争遂行にかなり影響力を行使したというのが理由でした。また、横浜正金銀行は対外的な決済をする目的で設立されましたが、連合国に占領されると外国との金融取引は一切停止させられます。そうすると日本国内での銀行業務しかできなくなり、銀行として存続がかなり厳しくなります。 そこで資産を分けて、国内の銀行部分に関しては東京銀行を設立して継続する。対外的な資産については別勘定にして償却して処理した。その後、東京銀行は合併などを経て三菱UFJ銀行になりました。 ──太平洋戦争が終わってから金融上の処理も大変だったのではないかと想像するのですが、たとえば銀行はどういう業務に追われたのでしょうか? 小野 『太平洋戦争と銀行』では国内のことは書いていませんが、海外の銀行で大変なのは占領ですね。満洲では初めはソ連が攻めてきて占領される。今度は国民党が来て、次は共産党に占領され、また国民党軍が押し返すといったことをやって、そのたびに接収の相手が変わるわけです。目まぐるしく変わる相手に従って処理しなければいけない。 でも最終的には閉鎖して、現地職員に退職金を渡して、雇用契約は終了する。残った日本人の職員は帰国させなければいけない。現地で新しい銀行を設立するようなことがあれば業務の引き継ぎが発生する。これを満洲、朝鮮、台湾でもやるという流れになります。 日本は綺麗にバランスシートを引き継ぎましたが、やはり国柄が現れますね。アメリカやイギリスに占領された国では、会計士が乗り込んで精査して申し送りをしていました。ソ連や中国が占領した国では、なんでも勝手に取って行ってしまう。しばらくして日本の職員が行ってみると、支店の金庫は開けられ、金品・有価証券だけでなく机や椅子などの什器まで物品は全部持っていかれている。事実上の掠奪です。もちろんバランスシートの申し送りも何もない。 新しくソ連の銀行を作るから手伝いに駆り出された人もいれば、戦争に協力した疑いでと逮捕・収容された人もいました。それ以外の人はもう帰れというわけです。帰ると言っても、帰国船のような設備は整ったものではない。歩いて帰れと、いきなり放り出されます。

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