インテリジェンス―。情報や諜報(ちょうほう)を意味するこの言葉への関心が高まっている。政府は安全保障上の問題に対応するため、インテリジェンス(情報活動)機能の強化を進める方針だ。ただ、インテリジェンスと言われても、具体的な内容を思い浮かべるのは難しい。ともすれば、映画やドラマに登場するスパイのようなダークな存在をイメージしがちだが、現実はどうなのだろう。 日本のインテリジェンス機関の一つ、公安調査庁(公安庁)は「情報の力で、国民を守る」をモットーとする。公安庁の地方拠点である新潟公安調査事務所の吉田明弘所長は語る。「我々は喝采を浴びるヒーローじゃなくていい」。平和は表舞台だけでつくられているのではない。フィクションの世界とは異なる、リアルなインテリジェンスの裏側に目を凝らす。 ◆2本柱の一つ「調査」重視されるのは… 公安庁の任務は、大きく二つの柱で成り立っている。まずは新潟公安調査事務所などの現場が担う「調査」だ。その根幹は「ヒューミント(ヒューマン・インテリジェンス)」と呼ばれる人的情報収集活動にある。 調査官は、国の安全に関わる情報を持っていそうな協力者に接触して情報を入手する。ヒューミントにおいて、最も重要視されるのが 情報提供者との信頼関係であると吉田所長は強調する。「我々もただ情報を得ればいいのではなく、正確な情報を取らなくてはなりません。過大に話を膨らまされたり、話題をずらされたりしないようしっかりとした信頼関係を構築する必要がある。そのためには調査官一人一人の『人間力』で勝負するしかありません」 吉田所長がいう人間力とは「喉が渇いている人に『どうですか』と水を差し出すような配慮」。誠実な人柄で相手の心を開き、「この人になら話してもいいかな」と思ってもらう。「本当に地道です。でもそれが正確な情報を入手するための最短の方法であると私は思い、やってきました」。各調査官の個性を土台とする人間力によって、効果的なヒューミントが織りなされ、公安庁には多種多様な情報が集まる。「ヒューミントという分野において、我々は他国の情報機関にも引けを取りません。そう自負しています」 ◆「情報を好きになること」で深まる分析 こうして現場の調査官たちが収集した情報の「分析」が公安庁のもう一つの柱になる。情報の数々は東京・霞が関の公安庁本庁に集約される。本庁の分析官たちは、膨大な情報の中から価値のあるものを見極め、信頼性を判断。情報は公安庁の任務のほか、政策立案などに役立つよう関係機関に提供する形で活用される。 精度の高い分析に必要なのは「情報を好きになること」と吉田所長は説く。強い探求心を持ち、過去の経緯や背景を徹底的に理解した上で、新たな視点を加えていく。情報を好きになるほど、分析はより深いものになる。「やはり間違ってはいけないという使命感ですね」とうなずき、「我々が間違ったら取り返しがつかない。その熱意を持って調査にも、分析にも当たっています」。 ◆時代の変化、多様化する脅威とは… 公安庁は、破壊活動防止法(破防法)や団体規制法に基づき、国の安全に影響を及ぼす団体の動向調査や規制措置などを通じて、公共の安全の確保を図ることを任務とする組織だ。規制対象の代表例としてはオウム真理教(現在は「アレフ」など)が挙げられ、現在も観察処分が続いており、アレフに対しては再発防止処分も課されている。一方で時代の変化とともに、公安庁が向き合う脅威の形も多様化している。 近年、重要性が増しているのが経済安全保障の分野だ。日本の優れた技術やデータ、製品の不正獲得、研究者らが高額な報酬で引き抜かれる人材流出などが問題視されている。 公安庁はこうした問題に対し、把握している技術獲得の手口やアプローチの実態といった知見を蓄積。講演会といった機会を通じ、地方自治体や企業、研究機関などに共有することで被害の未然防止に努めていると吉田所長は説明する。「ある企業に持ち込まれた商談が、公安庁が紹介した不審なパターンに合致したため、トラブルを回避できたケースもありました」 また、インターネットを介して機密情報を盗んだり、不正に金銭を取得したりするサイバー空間上の脅威にも公安庁は目を光らせている。「対面を前提とした世間体によって、犯罪などの不正行為が抑えられている面があると思います。(サイバー空間上の脅威は)それが全くない世界ができたという認識です。当然注視しなければなりません」。対応が後手に回らぬよう、実態解明に取り組んでいる。 ◆調査官は「普通の公務員」フィクションとのギャップ ここまで公安庁の仕事に触れてきた。では実際に任務を担う調査官とはどのような人たちなのだろう。映画やドラマのように派手に立ち回る、あるいは裏で暗躍する“特殊な訓練”を受けた人たちなのだろうか。「公務員試験や希望する官庁の面接を受けて採用された普通の国家公務員ですよ」と吉田所長は笑う。「警察官ではないので武器も携帯していませんし、超法規的な活動もしません。調査官に対して、ドラマや映画に出てくるスパイや諜報機関というイメージを持たれているとしたら、ギャップを感じるかもしれませんね」 新入職員は、研修所で破防法など公安庁の所管する法令や、公務員としての心構え、何より重要な情報保全のルールを徹底的に学ぶ。その後、配属先で上司や先輩の指導を受けながら、一人前の調査官へと成長していく。 スマートフォンをはじめ、デジタル機器が日常の必須アイテムになっている現代においても、調査官が記録に使うのは、基本的にペンとメモ帳。電話も極力避け、対面での会話が中心だ。それだけ情報流出の防止に神経を使っている。「情報提供の協力者にもよりますが、メモを取ろうとすると話してもらえないことがあります。それが何回か会ううちに、メモが取れるようになり、会える場所や会える可能性がある曜日を教えてもらえるようになる。やはり地道な信頼関係の構築なのだと思います」 ◆情報で闘う「ヒーローではなく黒子」 公安庁は警察のような逮捕権を持たない。役割はあくまで団体の動向を調査することなどにある。しかし情報収集の過程で不穏な動向を察知すれば、情報を関係機関に提供して適切な対応を委ねる。 吉田所長は、公安庁を「ヒーローではなく、役者を支える黒子のような存在」だと考える。「我々の仕事を褒めてもらう必要はありません」。舞台裏で人知れず情報を集め、国の安全に貢献する。それが、あるべき姿だと思っている。 情報を愛し、情報で闘う―。吉田所長の座右の銘は「私たちにお任せください」。その言葉には、インテリジェンスを担う国家機関としての静かで、揺るがない覚悟が込められている。 ◆[解説]インテリジェンス機関の役割、今後の展望は? 日本大学危機管理学部・小谷賢教授 インテリジェンス(情報活動)機関に詳しい日本大学危機管理学部の小谷賢教授に、その役割や現状の課題、今後の展望を聞いた。 日本のインテリジェンス機関は六つある。内閣官房の内閣情報調査室(内調)、警察庁警備局の外事情報部、防衛省の情報本部、外務省には国際情報統括官組織と国際テロ情報収集ユニットの二つがあり、あとは公安調査庁(公安庁)だ。 内調は各機関からの情報を集約する「取りまとめ役」を担う。防衛省は海外の軍隊をマークしている。外務省は広く海外の情報を集めており、テロユニットはテロに関する情報収集を専門とする。警察と公安庁の役割はほぼ同じで、テロ組織などを対象にした公安情報を扱うが、その権限には大きな違いがある。警察は逮捕権や強制捜査権を持っているが、公安庁にはない。公安庁は聞き取り調査で情報を集め、破壊活動防止法に基づく団体の監視を主としている。 インテリジェンス機関の課題は「重複」と「穴」だ。重複の例を挙げると、ある大使館の前では警察と公安庁、防衛省がそれぞれ個別に同じ監視活動を行っている。互いに「またあいつらいるよ」と思っているような状況だ。穴とは、十分にカバーできていない領域。海外での積極的な情報収集などが、それに当たる。本来は外務省の役割であり、他省庁では難しい分野だが、外務省はそうした活動に対して消極的だ。情報活動を本流の仕事とは思っていないところがあり、「外交官の仕事とは相手国と友好関係を築くことであり、スパイ活動はそれを破壊する」といったことを外務官僚はよく話している。 結局、各機関が縦割りで活動しており、連携が十分に取れていない。現状、取りまとめ役の内調が各機関に「情報を出してほしい」と頼んでも、それは「お願いベース」でしかなく、出すか出さないかは相手次第だ。 インテリジェンス機能強化のためとする政府の「国家情報局」創設構想は、内調を格上げし、各機関に情報を要求できる法的な裏付けを与えることが狙いだと考える。並行して議論が進められている首相を議長とする「国家情報会議」創設とセットでうまく回り始めれば、今よりも情報がスムーズに集約され、分析の幅が広がる体制になるだろう。 日本における今後のインテリジェンス体制を考える上で、必要な法整備が二つある。一つは通信傍受の法制化だ。海外からのスパイはメッセージアプリやSNSを使って連絡を取り合っている。その中身を読めなければ、何もできない。読めない日本はいまだに尾行だけ。そんな国は今時ない。対象を限定した適法な通信傍受の仕組みを整備しなければ、スパイの監視は不可能だ。もう一つは仮想身分捜査の法制化。身分を偽って潜入する捜査のことだが、国内でのスパイ監視はもちろん、海外で情報活動をする上で偽名のパスポートを持つこともできない現状で本格的な活動は難しい。 国民の「監視」を強めることになるといった反対の声もあるが、これらを進めていかないとスパイを取り締まることはできない。きちんと法律でルールを定め、根拠を持って情報活動をすることが重要である。