最も原始的な風俗の形態である「立ちんぼ」。新宿・大久保公園の〝交縁女子〟が近年、メディアなどで取り上げられて話題になったが、その歴史は長い。江戸時代から令和にいたる「立ちんぼ」の歴史を風俗ジャーナリストの生駒明氏が綴る連載の第5回だ。 ◆コロナ禍で増えた〝交縁女子〟 前回は、外国人女性が主流だった平成時代の立ちんぼ事情について解説した。アジア系、南米系、欧州系に日本人も加えて、平成の街娼はとにかく国際色に富んでいた。それは昭和後期に日本が大きく経済成長した結果、海外から出稼ぎで来日する女性が増加したためであった。今回は〝新型コロナウイルス感染症の蔓延〟という未曾有の災禍にともない、若い日本人女性が急増した令和時代の立ちんぼについて見ていく。 令和の立ちんぼスポットで最も有名なのは、東京・新宿歌舞伎町の大久保公園周辺である。平成時代には「ハイジア裏」などと呼ばれ、主に東南アジアや南米の外国人女性や日本人熟女が出没した。ハイジアビルの周辺には若い日本人女性もいたが、数は少なかった。 潮目が変わったのは令和2(2020)年の初夏。コロナ禍による1回目の緊急事態宣言が出された約1ヵ月後となる5月のゴールデンウィーク明けぐらいから、路上に立つ女性が増えはじめた。主にコロナ禍の影響で失職した女性、客が来なかったり出勤制限をされて稼げなくなった風俗嬢、営業自粛となった出会い喫茶に行けなくなった援助交際やパパ活目当ての女性などで、全体的に若い女性が増えていた。 大久保公園周辺での売買春は、公園をモジって「交縁(こうえん)」という隠語で呼ばれ、公園周辺に立つ女性たちは「交縁女子」と呼ばれた。一帯は昼間は健全だが、夜になると雰囲気が一変。周辺のガードレールに沿って女性が立ち、男性が近寄って売春を持ちかけ、近辺に林立するラブホテルに吸い込まれていくのが日常となった。 その異様な光景を多くのメディアが報道し、テレビやネットを見て知った地方の女性が稼ぐために上京するケースもあった。街頭に立つ女性が増えるほど、それを目当てに男性が集まるようになり、その結果、さらに立ちんぼをする女性が増える。このスパイラルが繰り返された。物珍しさから見物に訪れる人も現れ、大久保公園周辺は次第に観光地化していく。 ここでは都内の小学校の女性教員も立ちんぼをしていた。’20年2月ごろから立ちんぼを始め、同年7月から11月にかけては、1週間に2~3回のペースで〝体を売っていた〟という。地下アイドルのライブやファッションなどにお金を使い、最大300万円の借金を抱えていたのが売春の動機だった。出会い喫茶や風俗店に入店するには身分証が必要なことから、職業が明らかになるのを恐れて立ちんぼをしていたという。’20年11月と’21年2月に現行犯逮捕され、’21年9月に懲戒免職となったことがメディアで報道され、世間を騒がせた。 また、平成時代から引き続き外国人女性や、女装した外国人男性の街娼もいた。外国人は主にハイジアの西側にしか立たないので、主に大久保公園寄りの北側に立つ日本人と場所が被らず、棲み分けされていた。 ◆ホストやメン地下への〝推し活〟が招いた若年化 交縁女子は時を経るにつれて若年化していく。10代や20代前半の素人女性が目立ちはじめたのは、令和4(2022)年の夏ごろからだった。その日の宿代を稼ぎたい「トー横キッズ(歌舞伎町の新宿東宝ビル周辺にたむろする青少年たちのこと)」が流れてくるようになり、そのなかには7000~8000円で体を売る女性もいたという。 警視庁保安課の調査によると、交縁女子が立ちんぼをする動機は「ホストやメンズ地下アイドルに使うため」が最も多かった。次いで多かったのは「旅行やブランド品購入などの趣味のため」。その次が「生活困窮のため」だったという。家庭や仕事などさまざまな事情から「満たされない心を埋めるため」に男に貢ぐ若い女性たちが驚くほど多数いたのである。 そんな女性の恋愛感情を利用して悪質なホストクラブでは、一般的な収入では支払い不能な多額を使わせて暗にセックスワークへと誘導し、そこで稼いだカネを店に落とさせる手法が常態化していた。「貢ぐために体を売って稼げ」と、〝推し〟のホストに指示されて路上で客を取らされている女性もいた。 こうした常軌を逸したやり口が社会問題にならないわけがない。事態を解決するべく、新たな規制や罰則強化を組み込んだ風営法の改正案が、令和7(2025)年の通常国会で提出され、3月に閣議決定されている。 交縁女子は多い時には60人以上にもなったという。相場は1万5000円~2万円前後で、全体の人数が増え、平均年齢が若くなるにつれて下がる傾向だった。 ◆インバウンドが押し寄せる観光地に 彼女たちが風俗店で働くのではなく立ちんぼをする理由は、「手っ取り早く稼げるから」「楽で効率がいいから」だった。風俗店ではまず雇われなければならない。無事に雇用されたとしても、客を待つ時間が多いうえに、決まった時間に出勤しなければならない。客を選べないし、客が払った金額も全部もらえない。しかし、立ちんぼなら、面接も必要もないし、時間の拘束もない。気楽にやれるうえ、実入りがいいのだ。 大久保公園の噂と集客力は国境を越えていく。海外YouTuberの影響により、コロナ禍が収束した令和5(2023)年の夏ごろには見物に来るインバウンドの男性たちが急増した。欧米系は冷やかしが多かったが、中国やフィリピン、インドなどのアジア系は若い日本人女性を買っていたという。 こういった光景は、’90年代にはまず見られなかった。ここ30年ほどで豊かになったアジア諸国と相対的に、日本は貧しくなったのだ。 交縁女子たちにとっても、外国人客は私服警官の可能性がないから安心できるうえ、面倒な会話をする必要がない。チップのような感覚で相場以上の金額をくれる人もおり、人気だった。また、歌舞伎町には、ここで立ちんぼ女性をスカウトしたり、外国人客を捕まえていたインバウンド専門の違法風俗店さえあった。 警察の見回りも頻繁に行われていたが、摘発で減ったと思ったら時間をおいて復活する〝イタチごっこ状態〟だった。だが、次第に取り締まりは強化され、令和6(2024)年4月には現行犯逮捕ではなく、客待ちしているだけなのに過去の行為で女性が逮捕された。これは新たな抑止効果を期待してのものだったが、立ちんぼたちは客待ちの範囲を広げることで難を逃れた。同年10月からは一斉摘発が行われ、11月末までに50人の女性が検挙された。10代から30代が全体の85%を占め、最年少は16歳だったという。 さらなる取り締まり強化の一環として、交通上の安全対策を理由に令和7(2025)年2月末に公園の北側のガードレールが撤去される。客待ちの女性がガードレールに寄りかかって車道側に立っているのが危険であり、歩行者が車道から歩道に入りやすい状況を作ることが狙いだった。パトロールも強化され、交縁女子たちは近隣のホテル街や池袋などに移動して客待ちをするようになった。移動しながら交渉する女性(〝歩きんぼ〟という)や、店の軒下で座ったりしている女性(〝座りんぼ〟という)もいるという。こうした対策強化の結果、大久保公園周辺の立ちんぼは大幅に減少しているようだ。 ◆「飛田新地」と似て非なる点とは 大久保公園周辺の立ちんぼを巡る一連の出来事を俯瞰して眺めると、起きていたことは飛田新地のそれとそっくりである。「路上から見える場所に女性の姿があり、撮影をしたがる人が現れる」「効率よく稼げるから、若くてきれいな女性が集まる」「常連客が一定数おり、そこに一見客や見物客が加わる」「日本人だけでなくインバウンド客まで押し寄せる」など、多くの点が共通している。 異なるのは店の有無であり、ここが存続の可否を分けたようだ。飛田新地のように店舗があれば、法律的にはグレーなことをしていても、昔から地域に貢献しているおかげで、警察はある程度営業を〝黙認〟してくれる。もちろん、一斉摘発されて消滅する可能性は常にあるものの、店が緩衝材となって、働く女性を守ってくれるのだ。 立ちんぼには、飛田新地のような地域とのつながりがない。納税をしないうえ、風紀を乱すので、地域住民に疎まれる。これが決定的に問題なのである。 大久保公園の立ちんぼエリアの栄枯盛衰は、風俗街の誕生、隆盛、衰退、消滅の流れを間近に見せてくれている。流行したのはわずか5年ほどと短期間であり、取り締まりにより次第に消滅に向かっていくのは、非合法な裏風俗地帯の脆さを象徴しているようだ。 【後編】では、大阪や横浜の立ちんぼ事情と、なぜ令和の時代に立ちんぼが増殖したかについて生駒氏が詳しく解説している。 取材・文・写真:生駒明