いつの時代も男女の仲を巡る事件は絶えない。そしてその背景には他人にはうかがい知れないさまざまな「愛のカタチ」が存在している。5月28日に刊行された『好きだったあなた、殺すしかなかった私』(事件備忘録@中の人・高木瑞穂著/鉄人社)が5月28日に刊行された。同書より「励ます女 (滋賀県大津市・女性殺害死体遺棄事件)」を一部編集して紹介する。 ◆大津の民家の遺体 平成15(2003)年7月13日午前11時半、滋賀県警本部に男が出頭してきた。対応した警察官に対し、「大阪で女性を殺害し、大津の空き家に運んだ」と話したことから、警察が大津市弥生町の民家を調べたところ、1階和室で布団袋に包まれた若い女性の遺体を発見した。 遺体の身元は、男の供述から大阪府吹田市在住の山岡アリスさん(仮名/当時22歳)と判明。男を後に殺人容疑で逮捕した。 逮捕されたのは奈良県生駒市在住の会社員、徳田信一(仮名/当時39歳)。徳田はアリスさんが勤務していた風俗店の客で、冷たくあしらわれたことでアリスさんを殺害したと供述していた。かなり入れあげていたようだ。 客としての立場をわきまえない哀れな男の成れの果て、そんな事件に思えたが、警察は男を逮捕する一方で、別の人物もこの事件に関連して逮捕していた。逮捕されたのは東京都世田谷区在住の風俗店員、武田亜佳里(仮名/当時23歳)。容疑は、殺人ほう助だった。 ◆激励メール 警察は、徳田が犯行直前になおも逡巡していたにもかかわらず結果として犯行に及んだのは、この亜佳里からのメールの存在が大きいとみた。亜佳里と徳田はどのような関係だったのか。 ふたりの出会いは風俗店だった。渋谷区内の風俗店に客として訪れた徳田は、亜佳里とは客と風俗嬢以上の関係になっていた。2年ほど続いた交際だったが、平成13(2001)年に徳田が転勤となり東京を離れると、必然的に会う機会も減った。それでも交際関係は続いていたという。平成15年7月、東京で徳田と会った亜佳里は、徳田から大阪の風俗店で知り合った女性のことを好きになったと告げられる。 ただ、徳田の一方的な恋心だったようで、亜佳里に対して「彼女に思いが通じない」といった相談をしていた。 亜佳里は徳田と交際していたとはいえ、その関係は深いものとはいえず、仕事として始まった関係がずるずる続いているという状態だったようだ。徳田は亜佳里に対し、「彼女に思いが通じないならいっそ殺して、自分も死のうかと思っている」と物騒なことを打ち明けた。 そして7月13日、徳田から切羽詰まったメールが届く。徳田はアリスさんの自宅に来ていたようだが、 冷たくあしらわれたことで、もはやこの恋が成就することはないとわかっていた。 亜佳里は徳田に対し、「私はやることが正しいことだと信じています。大丈夫、深呼吸して冷静でいられる自分を作って。私の中でも徳田さん同様、これしかないしそれが一番だと信じています」「こんなこと言うのも変だけど、幸運を祈っています」と返信した。 この亜佳里からの激励によって殺意を固めた徳田は、隠し持っていた金づちでアリスさんの頭部を複数回殴打したうえで、ネクタイで首を絞めて殺害した。その後、大津市内に所有する空き家にアリスさんの遺体を運び込んだのち出頭したのだった。 ◆疑問 徳田に対して検察は懲役13年を求刑。のちに、懲役11年が確定した。 一方の亜佳里も、殺人ほう助で起訴された。かなり異例とされたこの起訴だったが、結果としては懲役4年の求刑に対し、懲役3年・執行猶予4年(未決勾留日数150日算入)というものだった。弁護側は、当時悩みを相談する相手として亜佳里に対し執拗に連絡を取るなどストーカー化していた徳田に亜佳里が恐れをなしていたことなどから無罪を主張したが、退けられた。 徳田の助言要請が凄まじかったとしても、別に無視しておいてもよかったはずなのに、いや、アドバイスするにしても思いとどまらせるという選択もあったはずだ。にもかかわらず、亜佳里はなぜか徳田の背中を押すような助言ばかりをしていた。アリスさんとは一面識もないのに、である。亜佳里は、自分の助言がまさかこんなことになるとは思いもしなかったと話していたが、検察は亜佳里の、ある目論見を見抜いていた。亜佳里は、徳田に借金があったのだ。 風俗嬢だった亜佳里に対し、徳田は早くこんな仕事は辞めるように、と言っていたという。亜佳里からすればうざいこと極まりない男である。風俗に来て説教や早く足を洗えなどと、一見、相手のことを考えているようなことを言う奴がいるが、一番嫌われるタイプだろう。自分はそこで気持ち良くなっておきながら、サービスを受けておきながら、こんなことをどの口が言うのか。 亜佳里がそれをどう捉えていたかは別として、徳田は風俗嬢に金まで貸すという、うざいうえに阿呆だった。 検察は、徳田が亜佳里に対し、「アリスさんを殺して自分も死ぬ」と話していたことに注目。さらに亜佳里がアリスさん殺害の報告を受けた後、徳田に対してアリスさんが自宅に保管していた現金などを持ち出すように仕向けていたことから、単なる助言ではなく、ある程度の打算が働いていたとした。 強盗に見せかけるとかなんとか言ったのだろうか、検察はこれを、徳田を利用して自らの借金返済を免れようとしたと主張していた。裁判所はこれらについても認めた。そして、たとえ正犯が徳田であるとしてもその決意をより強固なものにさせた責任は重いことなどを挙げて、若年であることを差し引いても強い非難は免れないとした。 が、やはり徳田自らが招いたことであり、その徳田と亜佳里の関係性において、洗脳されていたわけではなく、あくまでもアリスさんと徳田の関係の話だったこと、今後は両親が監督していくと誓約していることなどを踏まえて、執行猶予がつけられた。 ◆ただのバカか、それとも 裁判では亜佳里は徳田に借金があり、徳田がアリスさんと無理心中的なことをしてくれればその返済を免れられる、という打算があったとしたが、それ以外に思惑はなかったのだろうか。 先に、亜佳里と徳田の間に客と風俗嬢として以上の「情愛」があったという話はないと書いたが、それでも一応ふたりは交際関係にあった。それがどの程度なのかがよくわからないのだが、亜佳里は徳田がアリスさんに入れあげていること、そしてそのことで臆面もなく自分に泣きついてくることを、どう受け止めていたのだろうか。 アリスさんと亜佳里は同世代。亜佳里が客の徳田から借金をしていたのに対し、アリスさんが多額の現金を持っていたことからも、ふたりの風俗嬢としての立ち位置もなんとなく見える。 亜佳里は、相談を受けたことで徳田に頼りにされているという錯覚に陥ったように思える。そこには、徳田に対する愛情があったかはわからない。が、アリスさんを殺害して自分も死ぬつもりという「秘密」を徳田と共有しているという状況は、亜佳里にとっては間違いなく非日常、とんでもないドラマティックな状況である。 その事実を知りながら黙っているだけでなく、どうしようと躊躇する徳田に対して「そうすることが正しい」「私もそうするしかないと思っている」と返答しているが、それがどういうことなのかに思いが至らなかったのは若さゆえなのだろうか。 徳田が死ねば、いや死ななくとも逮捕されれば借金返済を免れるというもっともらしい理由はあるが、 風俗嬢と客である。正式な借用書があったとしても、どこか理由づけとしては突飛な印象が拭えない。それも、ただ単に若く浅はかだったということの裏付けになるのだろうか。 執行猶予がついた背景には、そもそもは徳田の発案だったことや、徳田が助言を求めたために巻き込まれた側面があったと認定されたからだが、それだけで見ず知らずのアリスさんを殺害するよう後押しし、徳田が自殺することを願ったというのであれば、それはそれでかなり恐ろしい人物とも言える。バカが罪深いと言われるのはこういうことではないかと思う。 ただ、亜佳里の心の奥底に徳田に対する別の感情はなかったのか、と思わなくもない。 亜佳里は徳田が転勤し、さらにはその土地で、死ぬほど、殺したいほど好きな女ができたと聞かされ何も思わなかったのだろうか。そしてその女は自分と同じく風俗嬢だと知って、心がざわつかなかったろうか。 躊躇する徳田を煽るように、畳み掛けるように送ったメールは、本当に借金返済を免れるため「だけ」 のものだったのだろうか。被害者であるアリスさんと徳田のそれまでよりも深い何かがあるような気がしてならない。ところで亜佳里はその後、徳田に金を返したのだろうか。 『好きだったあなた 殺すしかなかった私』(事件備忘録@中の人・高木瑞穂著/鉄人社)