42年間非転向の世界最長期囚「北朝鮮に送ってほしい」韓国政府に公式に要請

分断の痛みを全身で耐え抜いてきた老年者たちの最後の夢は、南と北を再びつなぐ橋となるだろうか。 最近、生存する非転向の6人の長期囚が、自分たちを北朝鮮に送るよう政府に公式に要請していたことが、18日のハンギョレの取材で確認された。北送(北朝鮮への送還)を望んでいるのはヤン・ウォンジンさん(96)、アン・ハクソプさん(95)、パク・スブンさん(パク・スンジャ、94)、キム・ヨンシクさん(91)、ヤン・ヒチョルさん(91)、イ・グァングンさん(80)。6人は、2000年9月に63人の非転向長期囚が北朝鮮に送られて以降、「第2次送還運動」を繰り広げてきた47人のうち、今も生存している全員にあたる。 しばらく世間の関心から離れていた非転向長期囚の北送問題が懸案として改めて浮上したのは、「生存する非転向の世界最長期囚」と呼ばれるアン・ハクソプさんが「同志たちのそばに埋めてほしい」として、北送を韓国政府に公に要求したからだ。 「アン・ハクソプ先生送還推進団」(共同団長:イ・ジョク、ハン・ミョンヒ)は今年7月18日、政府ソウル庁舎前で記者会見を行い、「政府の即時かつ実質的な送還協議への着手」と「第三国ではなく板門店(パンムンジョム)を通じた送還の推進」を含む3項目を政府に要求した。その後、統一部は肺水腫や心筋梗塞などで生死の境をさまようアン・ハクソプさんに複数回面会し、健康状態と送還に関する具体的な要求などを把握した。 アンさんは「米軍が朝鮮半島からいなくなるまで闘争を続ける」として2000年9月の第1次北送を拒否し、2001年にはじまった「第2次送還運動」にも参加しなかったが、最近健康状態が急速に悪化したことで翻意したという。アンさんは今月20日午前10時に臨津閣(イムジンガク)から出発するとして、板門店を通じた北送支援を統一部に要請している。アンさんは42年4カ月間にわたって刑務所に収監されていたが、最後まで転向を拒否し、1995年の光復節特赦で釈放された。 アンさんを除く5人は、さまざまな理由で2000年9月の第1次北送の対象から外れた人たちだ。拷問のせいで転向書を書いた人もいるが、疑問死真相究明委員会は2004年に「強圧と拷問による強制転向は転向ではない」として、彼らの非転向長期囚の資格を認めた。 政府は、公式には彼らの送還要求を認めるかどうかを明らかにしていない。ただし、政府の内部事情に詳しい多くの関係者は「政府ではなく北が受け入れるかどうかがカギ」だと語る。北朝鮮がいかなる方法であれ、6人を受け入れるというシグナルを送ってくれば、政府は北朝鮮への送還に反対しない雰囲気だ。北朝鮮当局が呼応すれば、非転向長期囚の北朝鮮送還問題は南北直通連絡線の復旧と当局同士の対話再開の糸口となり得ると、多くの元政府高官は語っている。 問題は、北朝鮮当局の無視に近い沈黙だ。今年7月以降、アンさんが北送を望んでいるという報道が国内メディアで相次いでいるが、北は無反応だ。労働新聞や朝鮮中央通信などの北朝鮮の主要メディアは、彼ら非転向長期囚の問題について何ら報道していない。政府関係者が「北側の関連動向を探っている」と語る理由はここにある。 分断の痛みの生き証人である非転向長期囚の北送には、前例がある。金泳三(キム・ヨンサム)政権初年の1993年3月には、元「人民軍従軍記者」のイ・インモさんが板門店を経て北朝鮮に送られている。初の南北首脳会談直後の2000年9月には、キム・ソクヒョンさん、キム・ソンミョンさんら63人の非転向長期囚が北朝鮮に送られている。いずれも政府は憲法の規定などを考慮し、彼らを「送還」ではなく「家族に会うための無期限の訪朝」のかたちで北朝鮮に送り出した。南北特使の相互訪問直後の2005年10月には、非転向長期囚のチョン・スンテクさんの遺体が板門店を経て北朝鮮の家族のもとに戻っている。チョンさんの遺体の北送を主導した当時の統一部長官は、チョン・ドンヨン現統一部長官だ。 イ・ジェフン先任記者 (お問い合わせ [email protected] )

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