英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。 * * * 日本からヒースロー空港に着き、車で帰宅する途中、その異変に気づいた。高速道路の跨道橋に、ユニオンジャックや聖ジョージの旗がいくつも下がっているのだ。数週間前にはこんなものはなかった。これが「国旗掲揚運動」らしい。サッカーのW杯開催の年でもないのに、英国の街に国旗がはためいている。 YouGovの調査によれば、英国の有権者の最大の関心事は、6月から「経済」を抜いて「移民・難民」になっている。政党支持率でも、EU離脱を推進したファラージ党首率いる右派ポピュリストのリフォームUKが1位を独走中だ。ほんの1年前に労働党が政権交代を起こし、「英国は左派政権を選んだ」と対外的にも話題になったが、その労働党政権が緊縮路線から抜け出せず有権者を失望させ、リフォームUKを意識して政策を右傾化させているうち、本家本元の右派に抜かれた形だ。 国旗ブームは1990年代にもあった。皮肉にもその火付け役は労働党だった。国旗を掲揚する左派、そんな第三の道があってもいいというのがブレア政権の「クール・ブリタニア」戦略だった。音楽、美術、ファッションなど、クールな英国を世界に売った時代のシンボルが国旗だった。だが、今年は様相が違う。跨道橋の欄干に巻き付き、雨ざらしになっているその旗は、「われわれの誇り」と呼ぶにはどこかサッドだ。 難民認定申請者が宿泊するホテル付近では、今年も抗議運動が行われた。もはや夏の風物詩だ。難民から女性や子どもを守るためと彼らは叫ぶ。昨年は抗議が暴動になり全国で逮捕者も出たが、逮捕された899人のうち、41%がパートナーへのDVで通報されていたと警察の報告で明らかになった。「どの口で女性を守ると言ってるんだ」と突っ込むより、左派や中道派の多くは「やっぱりそういう人たちの運動」と眉をひそめる。この冷ややかな目線は過去に見たことがある。「理解に苦しむ彼ら」と自分たちの間に線を引く、侮蔑と余裕の目線だ。 EU離脱前にあった「あり得ない」の驕りがそのまま繰り返されるのを見ているようだ。英国は、実はあの時からどこにも進んでいなかったのだろうか。 ※AERA 2025年9月15日号