1966年に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌さん(89)に静岡地裁が再審無罪を言い渡してから1年。81年の第1次再審請求から無罪判決確定までに43年以上を費やした再審公判は、現行の刑事手続き制度の課題を改めて浮き彫りにした。「巌だけでなく冤罪(えんざい)で苦しむ人の助けになるように」という家族の願いに呼応し、制度改正に加え、新たな国家賠償請求訴訟による捜査過程や裁判の検証と、教訓を継承していく地道な活動が続いている。 勤め先だったみそ製造会社の一家4人が殺害された事件で、袴田さんは66年に逮捕、起訴され、68年に死刑判決を受けた。2008年に再審の2次請求を申し立てるも、差し戻し審を経て最終的な無罪確定までに16年5カ月を要した。 特に検察が不服申し立て(拮抗(きっこう))できる現行制度は、審理の長期化を招く要因と言われる。再審請求は冤罪被害者を救済する最終手段とされるが、法律の条文には具体的な手続きの規定がない。証拠開示でも裁判官や検察官の裁量に委ねられる側面が強い点を日本弁護士連合会などは問題視し、「再審制度そのものに不備がある」と再三指摘してきた。 袴田さんの裁判を機に、改正を求める声は着実に広がっている。県内では県議会と全35市町議会が法改正を求める意見書を可決し、全国でも700超の自治体が採択した。 「巌が拘束されていた47年7カ月の苦労を法律にいかしてほしい」。姉の秀子さん(92)は今年、全国各地で開かれた集会や国の審議会に出る度、再審規定の早期改正を繰り返し訴えてきた。 ただ、与野党で足並みはそろわない。6月には証拠開示の義務化や検察側による拮抗の禁止などを求め、刑事訴訟法の改正を目指す超党派の議員立法が野党6党によって衆議院に提出されたが、継続審査になった。関係者は引き続き早期改正実現を訴えている。 10月に向け、国と県に損害賠償を求める訴訟の準備も進んでいる。この訴訟の肝は、袴田さんが被った損害の原因となった、証拠の捏造(ねつぞう)や隠蔽(いんぺい)といった捜査機関の違法性を明らかにすることにある。 「捜査の見えない所をなくす」。小川秀世弁護団長は実況見分や鑑定、取り調べといった捜査段階の手続き自体が「無法地帯だ」と表現する。新たな国賠訴訟では、一連の事件捜査や裁判を検証しながら、将来にわたって証拠の捏造を防ぎ、捜査手続きを可視化できる環境づくりも問題提起する考えだ。 同時に、袴田さんの再審無罪から司法制度や冤罪について考えを深め、改善にいかす活動にも力を入れる。 「今後も問題のある事件は出てくるはず。その時は袴田さんを思い出し、報道につられず考えてほしい」。 小川弁護士は今月8日、静岡市内で大学生に語りかけていた。青山学院大の葛野尋之教授のゼミは、袴田さんの事例などから冤罪について考えてきた。この日は支援者の山崎俊樹さんの案内で事件現場も視察した。4年生の鮫島美来さん(21)は「現場は普通の住宅街だった。身近な所で事件は起き、冤罪に巻き込まれる可能性は決して人ごとではない」と話した。 同じ4年生の田嵜千春さん(22)の論文テーマは、取り調べの可視化。当時は弁護士さえも接見を制限され、第三者の目がない場所で罵声を浴びせられるなどして人権を脅かされたとみる。「人間が人間を取り調べ、裁くことの責任や影響力をもっと考える必要がある。人生を奪いかねない誤った判断をどうなくしていけるか。袴田さんの事件から学ぶことは大きい」と話した。【藤渕志保】