神戸市北区の路上で2010年、堤将太さん(当時16歳・高校2年)が殺害された事件は4日、発生から15年を迎えた。 将太さんの父親・敏(さとし)さんがラジオ関西の取材に応じ、「被告の男からはいまだに謝罪の言葉はない。どうしてこの事件と向き合おうとしないのか」と怒りをあらわにした。 将太さんは、面識のない男に折り畳み式ナイフで突き刺され殺害された。男は犯行当時17歳。 10年10か月後の2021年8月4日に愛知県内で逮捕され、翌22年1月に殺人罪で起訴された。 23年6月に神戸地裁で開かれた裁判員裁判で、男は「(将太さんに対する)殺意はなかった」として、起訴状の内容を否認し、弁護側は善悪の判断が著しく低下する「心神耗弱」状態だったとして刑の減軽を求めていた。神戸地裁は男に精神障害はないと断定、完全責任能力を認めて懲役18年の判決を言い渡した。男はこれを不服として控訴したが、今年(2025年)6月、大阪高裁はこれを棄却。「あまりにも理不尽な動機だった」と指摘し、犯行時に少年だったことなどを考慮しても「懲役18年が不当に重いとはいえない」とした。 控訴審の争点は刑の重さ。少年法では「無期刑に相当する場合は有期刑とする」規定があり、事件発生当時の少年法は無期刑に相当する場合、有期刑の上限を15年と定めていた。 ただし、事件後に成人した被告が有期刑に相当する場合は特段の定めはない。 事件をめぐっては、敏さんら遺族が男と両親に対し、約1億5000万円の損害賠償を求める民事裁判が続いている。10月下旬には10回目の口頭弁論が神戸地裁で開かれる。 遺族は、「犯行当時未成年だった男が10年10か月逃亡していたのは、両親も“逃亡を手助け”していた可能性が高く、監督責任も問われるべき。今だに明確な犯行動機がわからないし、なぜ逃げたのかも知りたい。遺族としての思いは、賠償金ではなく、真実を突き止めたい」との思いで提訴した。 昨年(2024年)8月、第1回口頭弁論が開かれた。その後は非公開での協議が続き、ようやく“リアル”になる。 男は事件についての事実関係は認めているが、賠償金額について不服があるという。 事件発生から15年。ラジオ関西が敏さんと重ねた対話は15時間近くにのぼる。その音声データを改めて聴き直すと、何度も同じ言葉が繰り返されている。 それは「事件発生から犯人逮捕までの10年10か月は、“後ろ向き”。『あの時、こうだった。いや、こうすれば良かった』という気持ち。しかし、男の逮捕以降は、“前を向いて真実を追求する”」。 「被告が反論したいのなら、堂々と法廷で主張すればいい。私たち遺族は、1ミリも引かないのだから」。敏さんはブレることなく、公開の場で真実を明らかにしてほしいと訴える。 事件から10年10か月経っての逮捕、男は兵庫県警での取り調べで、「秘密の暴露」という、本人にしかわからない、具体的な経緯を説明していたという。 しかし、刑事裁判では一転、「覚えていない」という供述に変わった。 敏さんら遺族にとって、動機を含め、うやむやにされたことの苦痛がのしかかる。 事件から15年。男が逮捕されるまでの10年10か月は、気持ちが折れそうになりながら、男の逮捕の瞬間を迎えた「第1章」。 男が殺人罪で起訴されてから、捜査資料を体に染み込ませるように目を通し、来たるべき刑事裁判に備えた「第2章」。 そして、男と向き合った刑事裁判が「第3章」。 「第4章」のいま、民事裁判を通して知りたいのは、10年10か月もの逃亡期間、男は何を考えていたのか、誰かが逃亡の手助けをしていたのではないか……。 しばらくはウェブ会議だったが、敏さんらは限りなくリアルにこだわり、法廷での審理を求め、家族や支えてくれる知人とともに臨んだ。 敏さんは可能な限り、資料を取り寄せた。男は犯行後、カウンセリングに通っていたことがわかった。「どんな精神状態で生活をし、将太を殺めるに至ったのか。しかし、民事裁判のウェブ上の審理で男が出てくることもなく、遺族にとって何もわからない。「毎回、肩透かしか…」。 刑事、民事の各裁判で被告に判決が下されたらそれで終わりではない。「失われた命は帰ってこない。私たち遺族は、ずっと遺族なのだから」。 敏さんの手元には複数の本が並ぶ。“加害者家族”について。敏さんらとは立場の異なる人々について記されたものだ。 各界から敏さんへの講演依頼が相次ぐ。本音は「『私は犯罪被害者遺族です。こういう経緯で、こんな思いをしました』という内容ひとつで済むかもしれない。 しかし、講演を聞く方々の立場は違う。少年院、刑務所、警察学校、行政機関、民間の方々…。犯罪は被害者と加害者を生む。では、どうすれば加害者を生まぬ社会になるのか、ともに考えなければ」と思う。 毎年、命日は家族だけで迎える。この日、将太さんを偲ぶ友人や事件に長く携わった捜査員が花を手向けに訪れる。将太さんと敏さんらがひとつになる特別な日だ。 「15年、いろいろあったね」。将太さんの遺影のそばには、メジャーリーガー・大谷翔平選手のサインボールや、大阪・関西万博の公式キャラクター「ミャクミャク」のグッズも。いま、将太さんが生きていれば大谷選手の活躍を語り合い、万博会場・夢洲へ一緒に…ということもあったに違いない。 5年前(2020年)の命日、敏さんはラジオ関西の取材に対し、「私はかつて、仕事人間で家庭をかえりみることがなくてね。でも事件が起きてからは変わった。そして、いつになく犯人が捕まりそうな気がして」。この言葉に、同席した妻・正子さんもうなずいていた。犯人逮捕はその10か月後だった。 「真実を明らかにすることは将太のため。私は遺族として、絶対にこの事件を忘れない。事件を忘れることは、将太を忘れることになるから」と語る。 「犯罪被害者とその遺族という、世間にほんの一握りの存在を知ってもらいたい」。この気持ちが揺らぐことはない。 もう二度と、このような悲しい出来事が起きないように…。