【プレイバック’95】オウム信者が尊師を奪回!? 列島を震撼させた『全日空機ハイジャック事件』

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の1995年7月14日号掲載の『全員無事の結果は出たが 早暁の強行突入「確率はキセキ的!」の戦慄』を紹介する。 1995年6月21日、列島を震撼させる事件が発生した。オウム真理教信者を名乗る犯人が、函館行きの全日空857便をハイジャックし、麻原彰晃の釈放を要求したのだ。 男は液体の入った透明なビニール袋を「サリンだ」と言って客室乗務員らを脅したという。5月16日の麻原逮捕以降、恐れられていた無差別テロの発生にテレビではほぼすべてのチャンネルが報道特番となり、国民は固唾をのんで事態の推移を見守った。 記事はハイジャック翌日の早朝に行われた警察の強行突入作戦の様子を伝えたものだ(《》内の記述は過去記事より引用。年齢・肩書はすべて当時のもの)。 ◆ベールに包まれた特殊部隊による早暁の突入作戦 《「機体の下に位置したか、どうぞ」 「北海道A班、飛行機の真下」 「北海道B班、これより梯子をかける」 「時計、5、4、3、2、1、ゴー。ドアから突撃!」 「ヤーッ!」(叫び声と悲鳴) 早暁の機内突入の決定的瞬間、現地対策本部と現場の機動隊員との間で、無線で交わされた生々しいやり取りである》 全日空機のハイジャック事件は、日本のハイジャック史上初めて「強行突入」によって、発生から16時間ぶりに解決したのだった。乗客の一人は突入時の様子を次のように語っていた。 ◆「すべては尊師のためだ」 《「バタバタと音がして、防弾チョッキを着た警察官がいきなり飛び込んできた。「犯人は何人?」などと叫びながら、通路を走っていきました。終わったことがわかると、乗客の間から自然に拍手が湧き起こり、隣の人と握手したり抱き合って喜びあいました」》 逮捕された犯人はオウム信者ではなく、休職中の銀行員・A(53)だった。客室乗務員の証言によると、Aは離陸から20分後に液体の入ったビニール袋をドライバーで突き刺すまねをして、「すべては尊師のためだ。言うことを聞けば乗客の命は助けてやる」と脅したという。 またAは耳にイヤホンを差し込み、「外の仲間から情報が入ってくる」「爆弾のタイマーをセットした」などと、終始「オウムの影」を匂わせていた。 《『尊師」という言葉から、オウムと関連している者の犯行と思った」(チーフパーサー)、「『これを突けば乗客全員の命がないのはわかっているな』と言うのを聞いて、ビニール袋の中身は毒ガスに違いないと思いました」(スチュワーデス・Bさん)》 Bさんは警察が踏み込んだ瞬間に、スキを見てビニール袋を奪ってドアまで走ったという。 365人の乗客は全員無事だった。フタを開けてみれば凶器はドライバー1本。ビニール袋の「サリン」は水だった。すべてはハッタリだったわけだが、「無差別テロ」で厳戒な警備態勢がとられていたはずの手荷物検査を犯人はすり抜けていた。もし、本当にサリンを持ち込んでいたらと考えると背筋が寒くなる。 また、航空機テロに詳しい専門家は、この強行突入で乗客に犠牲が出なかったのは「奇跡的」だと指摘していた。事件の解決を手放しで喜べる状況ではなかったのだ。 ◆犯人を捕らえてみれば…騒動の意外な結末 投入された警視庁の第六機動隊特科中隊(SAP)は、当時まだ警察内部でもあまり知られていない秘密部隊だった。 だが、この事件をきっかけにその存在を大阪府警特殊部隊とともに正式に公表され、1996年には対テロ作戦を担当する警察の特殊部隊『SAT』として北海道、愛知、福岡など6つの道県警察に設置されている。 犯人のAは大手信託銀行のエリート行員で、妻子がありながら銀座のクラブのママと親しい関係となり、子供まで生まれていた。 だが、バブル崩壊の影響で左遷。社内では『ペーパーカンパニーで稼いで愛人を囲っている』という怪文書を流されたうえに、妻との関係も冷え込んだ。 さらに1994年からは持病のぜんそくと自律神経失調症で休職することとなり、「何もかも終わりだと思った」と公判で語った。 オウム信者を名乗った理由は「麻原を機内に呼びつけ、本人の口からオウム事件を供述させたかった」と述べた。Aは1999年9月に懲役10年の刑を言い渡され、確定している。 オウムの事件を思い起こさせ、日本中を恐怖に陥れたハイジャックは、一人の自暴自棄になった中年男が起こした悲しい事件だった。

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