ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(200)

四月一日事件 バストスに次いで、再び銃声が響き血が流れた。今度はサンパウロに於いて…であった。 四月一日早朝、古谷重綱と野村忠三郎が自宅で襲撃された。 古谷は難を逃れ、野村は落命した。 襲撃者は、パウリスタ延長線方面からサンパウロへ移動した既述の面々であった。 いわゆる四月一日事件である。 襲撃者は当日二人、二日後に三人が逮捕された。残る五人は逃亡した。 事件が発生するや、これをポルトガル語の新聞が、異様なまでの興奮ぶりで、連日、デカデカと報道した。 当時のポ語新聞や『ブラジル日本移民八十年史』によれば、その見出しは次の様な具合だった。 〇四月一日、ジアリオ・ダ・ノイテ紙 「日本人の秘密結社 パルケ・ジャバクアラで企業家を暗殺 被害者は帰化ブラジル人 四発の銃弾を胸に アクリマソンでも襲撃 約三〇発を発射 逃亡時、二人が逮捕さる その一人は、ある構成分子の殲滅計画に従っている」 企業家とは野村忠三郎、ある構成分子とは敗戦派を指す。 〇四月一日、フォーリャ・ダ・ノイテ紙 「日本人秘密結社の狂信者 元アルゼンチン日本大使の暗殺を試みる サンパウロに日本人ゲシュタポ組織」 記事中の大使は公使の間違い。 〇四月二日、オ・エスタード・デ・サンパウロ紙 「日本人狂信者 ジャバクアラで暗殺 狂気の日本人たち 日本人外交官を銃撃」 「日本人狂信者 サンパウロで広範囲に暗躍 十数人に死の脅迫 警察に保護申請」 〇四月三日、コレイオ・パウリスターノ紙 「日本の戦勝を確信敗戦認識者の抹殺を 目指す」 〇四月四日、オ・エスタード・デ・サンパウロ紙 「日本人秘密結社発覚 狂信者団体幹部を収監」 狂信者団体とは臣道連盟を指す。 〇四月四日、コレイオ・パウリスターノ紙 「日本人秘密結社の実態が発覚 、 臣道連盟、十万人以上の会員を有し、州内全域に支部 トッコウタイ、暗殺を目的にサンパウロに侵入 本部で、宣伝材料と秘密通信機を押収 企業家暗殺の犯人を三人、逮捕」 〇四月五日、フォーリャ・ダ・ノイテ紙 「臣道連盟全体に手入れ 州内の地方連盟指導者を全員留置 国外追放の可能性」 〇四月五日、コレイオ・パウリスターノ紙 「自爆青年隊、日本人を殺害のため上聖 リベルダーデにまだ二百人 数十人の日本人が標的に ブラック・リストが存在 臣道連盟幹部、日本は負けていないと確信」 〇四月九日、コレイオ・パウリスターノ紙 「サンパウロ州の四百名の日本人が警察の手に オールデン・ポリチカが発表 臣道連盟が壊滅」 いずれも、写真入りで一面全部を埋め尽くしていた。記者や編集者の昂ぶりが目に見えるようだ。 記事の内容の殆どは、DOPSが、記者会見で発表したものである。 歴史上、臣道連盟・トッコウタイという名称が、活字になって世に現れたのは、この時が初めてである。 トッコウタイという言葉からは、誰もが、前年の八月まで体当たり攻撃を敢行し続け、世界中を驚かした日本軍の「特攻隊」を思い浮かべた。新聞の中には、カミカゼという言葉を使って解説記事を載せた処もあった。 この四月一日事件では、州警察がとてつもない行動に出た。 サンパウロ州政府公共保安局の州警兵、民警、DOPSの三部門が総て動き、州全域で、臣道連盟の主要メンバーを検挙したのである。 中心になったのはDOPSだった。警察から観れば、政治的色彩の濃厚な事件であり、政治社会保安部たるDOPSの担当だったからであろう。 DOPSは、他の二警察の協力を得て、事件の翌日、即ち二日朝、サンパウロ市内の臣連本部を急襲、居合わせた理事、職員を連行、留置した。 三日には本部の残りの理事、職員、地方支部の役員を総て連行、留置した。 ノロエステ線地方リンスの支部長であった吉井碧水が手記を残しているが、その時、同地の警察署長が、 「臣道連盟はテロリストであるから逮捕せよという命令が、サンパウロの本部から来ている」 と言ったという。 これは、州警察が臣連をテロ組織と決めつけていたことを意味する。 事件の三日後、即ち四日には臣道連盟、トッコウタイの文字が新聞に出ている。 検挙された連盟員約四百名はその多くが地方居住者であった。それを皆サンパウロへ移送した。 が、DOPSの留置場は、そんな大勢の人間を収容できなかった。そこでカーザ・デ・デテンソン=未決囚拘置所=も利用した。

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