繰り返されるメディアスクラム 報道合戦は一体何を伝えたかったのか!? 山本浩之アナコラム

【ヤマヒロのぴかッと金曜日】 京都府南丹市で小学5年の男児が行方不明になった事案は、養父による殺人・死体遺棄という最悪の結果となった。 当初の大捜索でも発見できず、警察が公開捜査に踏み切った後、男児が身につけていたリュックに続いて、男児のものと見られる靴が発見され、この頃から報道は一気にヒートアップする。 男児の遺体が見つかり養父が逮捕されるまで、朝から晩までテレビは同じことを、何度も現地から伝え続けた。被害者宅を見渡せる農道に等間隔に並ぶおびただしい数のカメラに、違和感を抱く視聴者も多かったのではないか。 (なぜあんなに多くのカメラがいたと思います?どのチャンネルも朝から晩まで幾つもニュースを取り上げる番組あるでしょ。それぞれディレクターもカメラもカメラ助手もリポーターもみんな来るんです。アホでしょ!?)完全なる『メディアスクラム(集団的過熱取材)』だった。 関西で長年報道に関わった身として、一つ言っておかねばならないことがある。 かつて、大きな事件や事故の取材は主にそのエリア(在阪局なら近畿2府4県)を受け持つテレビ局が担い、系列の全国ニュースで伝えてきた。キー局の報道スタッフでさえ、エリア外の現場に足を踏み入れることは許されなかった。東京のワイドショーのクルーが勝手に現場に来て、被害者や被疑者の人権に全く配慮のないフライング取材をして問題になり、関西テレビのデスクがキー局のフジテレビに激しく抗議するのを度々見てきた。決して過剰にならずに伝え続けることで『報道』としてのモラルを保とうとしていた。 残念ながら、このルールが一気に崩れたのが、1995年の阪神・淡路大震災だと、私は思っている。在阪局だけでカバーしきれず、系列局の応援を得て“未曾有の都市型災害”を世界に発信できたが、その陰で被災地で失礼極まりない取材をした輩もいた。それが他所からきた取材者かどうかを特定する余裕さえ無かったが…。 それから2年後の神戸連続児童殺傷事件、さらに翌年の和歌山カレー毒物事件の頃には、当たり前のように東京の各社各番組の取材陣が大挙して押し寄せるようになる。まだ記憶に新しいのが森友学園問題。もみくちゃになる理事長夫妻のキャラクターを弄ぶ一部の情報番組により、当時、問題の本質がかすれてしまうほどだった。 いや、あの頃すでに報道番組、情報番組、ワイドショーといった区別すらできなくなっていた、と表現した方が正確なのかもしれない。行き過ぎた視聴率至上主義は報道のモラルさえ蹴散らしてしまったのだ。その都度メディアは反省もするが喉元過ぎれば…で、また同じ過ちを繰り返す。 南丹市の事件では、取材する際の節度は守られていたようだが、取材合戦、報道合戦にはまりこんでしまい、放送し続けた。一部のコメンテーターが過剰報道をたしなめる場面は幾つか見られたが、リテラシーは全く働かなかった。 メディアがスクラムを組んで(力を合わせて)権力と対峙する時に『メディアスクラム』という言葉が生まれた海外でも、昨今やはり過熱取材が問題となっている。テレビのみならず、新聞・雑誌もまた然り。“オールドメディア”の汚名を返上しないまま、このままズルズルいっちゃうのですか? ◆山本浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。

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