三の丸県庁舎誕生(昭和5年)㊦ 「95歳」でも現役 ロケ現場として人気 いばらきの昭和100年

昭和5年の完成から半世紀以上が経過し、老朽化が進む茨城県庁舎の建て替えを目的とした「県庁本庁舎建設検討会議」が県内部に設置されたのは60年10月だった。トップは総務部次長の人見實徳(さねのり)が務めた。 移転による周辺商業地などへの影響を考えた同会議は翌61年2月、「現在地(三の丸)建設が適当」との報告書をまとめる。だが、各界各層の代表者をメンバーとする「県庁舎建設調査委員会」は平成2年2月、建設地を現在地と、水戸市笠原町にある林野庁の林木育種センターの2カ所に絞った報告書を知事の竹内藤男へ提出した。 また、県議会に設置された「県庁舎建設調査特別委員会」は2年11月、笠原移転が多数意見とする調査結果を本会議へ報告した。 流れが移転へと傾く中、県庁直近の商店街を中心に反対の署名運動が起こった。隣の商店街の理事、竹脇元治も署名に協力したが、親しい県職員から「もう笠原で決まりだよ」と聞かされ、肩を落とした。 県議会は4年12月、新県庁を笠原へ置く位置条例を可決した。林木育種センター用地の売買契約のため、笠原町の林野庁事務所へ出向いたのは出納長となっていた人見で、現在地建て替えを進言した立場として、複雑な思いだった。 ■再び3階建てに 笠原町に完成した新県庁の開庁式前日の11年4月7日、旧庁舎では閉庁式が行われ、知事の橋本昌らの手で正門から「茨城県庁」の表札が静かに取り外された。橋本は「多くの先輩がここで県政発展に心血を注いだ」と感謝した。 旧県警本部や付属庁舎などを取り壊した跡地に約300台分の駐車場を整備し、新たに県の関係機関などが入居した三の丸庁舎が再スタートを切ったのは12年1月だった。 22年の耐震診断の結果、改修が必要とされた4階部分は戦後に増築されたものだったが、23年3月の東日本大震災で外壁がはがれるなどの被害が出た。4階はその後撤去され、昭和初期の3階建ての姿に戻った。中央の塔などにも補強が施された。 ■歴史と重厚感

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