香港民主党解散と黎智英氏の有罪判決 「一国二制度」崩壊の象徴 盟友の李柱銘氏は沈黙

香港最大の民主派政党だった民主党が14日、解散を正式決定した。初代主席を務めたのが〝香港民主主義の父〟と称される李柱銘(マーティン・リー)氏(87)だ。15日に香港国家安全維持法(国安法)違反の罪などで有罪判決を受けた黎智英(ジミー・ライ)氏(78)とは香港民主化運動の盟友だった。 李氏が民主党を結党したのは、香港が中国に返還される3年前の1994年。翌年に香港紙、蘋果(ひんか)日報を創刊したのが黎氏である。 民主党は98年、中国返還後最初の立法会選で第1党となる13議席を獲得。以後、行政長官選や立法会選における普通選挙導入などを求めてきた。それを言論だけでなく、経済的にも支えてきたのが黎氏だ。2人は中国共産党から「民族のくず」「米英の走狗(そうく)」などと非難されてきた。 反政府デモが本格化した2019年には、8月に実施された反政府デモにともに参加し逮捕、起訴された。一緒に訪米したのは同年10月。当時のペロシ下院議長らと会い、香港の情勢などについて話し合った。 中国の習近平政権による国安法の香港導入が決まった20年5月には、李氏は産経新聞の取材に「私や黎氏が香港を離れて残りの人生を楽しんでもいいのに、そうしないのはなぜか。中国が香港に約束した『高度な自治』を何とか実現させたいからだ」と答えていた。 しかしその後、2人の人生は暗転する。黎氏は投獄され、蘋果日報は21年に発行停止に追い込まれた。李氏も同年、無許可集会参加の罪で禁錮11月、執行猶予2年の判決を受けるなど、当局による弾圧が進んだ。 高度な自治を保証した「一国二制度」の下、中国本土と異なり香港で認められていたのが、中国政府を批判できる民主党であり、蘋果日報だったはずだ。蘋果日報同様、民主党も消滅することになった香港の現状は、名実ともに一国二制度が崩壊したことを如実に示している。 李氏は民主党の解散決定や黎氏の有罪判決についてコメントせず、沈黙を続けている。猶予付きの判決が確定した昨年8月以降、李氏は拘置所の黎氏を訪ねないようになったという。(藤本欣也)

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