――テレビ局の社内弁護士から記者職に、というのは珍しいですね。 高校1年生の時に阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件があって、ジャーナリストや社会学者に関心を持ちました。また、当時は薬害エイズ事件やロス疑惑の裁判などもあって、困っている人々を助け、権力と闘う弁護士の姿を見て、漠然と憧れを抱いていました。大学4年生になって、周りが就職活動を始める中で、軽い気持ちで司法試験の勉強を始めたんです。 ――道のりは順調でしたか。 いえ、それが全く(笑)。予備校の広告などを見て、2年くらいで受かるだろうと考えていたのですが、現実は全然違いました。大学を5年で卒業し、その後2年間はいわゆる「司法浪人」です。すると2004年にロースクール(法科大学院)制度ができたので、北海道大学の法科大学院に進学しました。 法科大学院を卒業して受けたのは新司法試験の初回で、合格率が48%もあり、大学院の仲間も7割以上が受かったのですが、私は不合格。さすがに向いていないかなと思いつつ、札幌の法律事務所で働きながら、翌年の試験を大阪で受けました。ですが、まったく手応えがなかった。もう諦めようと、大阪の証券会社の法務部に就職して2カ月ほど経った頃、司法試験の発表があり、合格がわかったんです。悩みましたが司法修習に行くことにして会社を辞めました。そして法律事務所への就職活動をしていた時、たまたま関西テレビの社内弁護士の募集を見つけました。当時、カンテレは「あるある大事典」の捏造問題(*)で大変な時期で、再発防止策の一環として社内弁護士を募集していたんです。 *2007年1月7日に放送された『発掘! あるある大事典II』(関西テレビ制作)で、「納豆のダイエット効果」についての実験データやコメントの捏造などが判明し、関西テレビは謝罪、番組は打ち切りとなった。