社外取締役は「諫議大夫」たれ◆古典「貞観政要」の教え 作家・江上剛コラム

◆企業経営・統治で責任重大 日本経済新聞(2025年8月23日付朝刊)に「社外取締役の報酬1790万円」と大きな記事が掲載されている。 上場企業の社外取締役の報酬が24年度は5年前より25%も増加しているというのだ。 記事では具体的に誰がいくら報酬を得ているか詳しく書かれている。また報酬は増加傾向にあるものの、まだまだ主要国と比べれば少ないらしい。 社外取締役というのは、社外という立場で執行は担わないものの法的責任は通常の取締役と同じである。また、セブン&アイ・ホールディングスがカナダの企業に買収されそうになった際、その適否を社外取締役の検討に任されるなど、企業経営、企業統治において責任が重大である。 しかし、幾つもの会社の社外取締役を兼務していたり、失礼ながら広告塔のような役割を担っていたりの人もいる。 渋沢栄一が「論語と算盤(そろばん)」の中(合理的の経営の項)で取締役(重役)について次のように書いている。 会社の経営が悪化することに関してである。重役や監査役に人を得ていないのではないかと問い掛け「名を買わんがために消閑(ひまつぶしの意味)の手段の虚栄的重役」「好人物だけど事業経営の手腕がない重役」「会社を利欲を図る機関にする重役」、こうした重役はダメだとした上で、渋沢自身は事業経営を「一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬ」の信念で取り組んできたという。 この渋沢の考え方からすれば、現在の社外取締役は一個人の利益や会社の利益よりも社会の利益を第一に考えて、事業経営に取り組まねばならないということになるだろう。 会社の利益よりも社会の利益を判断の基準にできるかどうか。このような自らを律する厳しさがあれば、渋沢に褒められる社外取締役になれるのだが、なかなか難しいだろう。 ◆蛮勇は身を滅ぼす 社外取締役に関しては苦い思い出がある。 1997年、金融界を震撼(しんかん)させた第一勧銀総会屋事件だ。東京地検の強制捜査を受け、11人の幹部が逮捕され、1人が自殺するという大事件である。この時、株主総会の仕切り役となってしまった私が最も困惑したのは「こんな恐ろしい銀行だと思わなかった」と常勤監査役が逃げ出すように辞任してしまったことだ。至急、代わりを見つけなければならないため苦労した。 もう一つは2010年の日本振興銀行事件である。世のため人のため、中小零細企業のためになると思い、ほとんど報酬もなく真面目に社外取締役として勤めていた。しかし、経営破綻を防げなかったとして善管注意義務違反に問われ、整理回収機構から巨額の民事訴訟を起こされ、長い裁判を戦った。裁判は和解で終了したが、その間の心労や金銭的な負担は大変だった。これに関しては「会社人生、五十路の壁」(PHP新書)に詳しく書いたのでお読みいただきたい。 皮肉な言い方で失礼だが、社外取締役になろうとする人は、多少、あなたが居眠りをしていても大丈夫なくらい不祥事が起きない、経営の安定した会社を選んで就任されることをお勧めしたい。決して不祥事を解決するぞ、経営を立て直すぞなんて「火中の栗」を拾うような蛮勇を示されないように。そんな蛮勇は身を亡ぼす可能性が高いからだ。 ◆「諫議大夫」が参考に さて、社外取締役に最も参考になる古典は「貞観政要」だろう。 これは唐の第2代皇帝太宗(西暦598 ~649年)の治世の要諦を記した書である。 太宗は、「貞観の治」といわれる天下泰平の世を実現した明君だ。そのため、この書が日本に伝わると帝王学の指南書として広く読まれた。明治天皇や徳川家康もこの書で学んだという。 この書がなぜ社外取締役に有益かというと、太宗と、もう一人の主人公と言うべき存在が「諫議大夫(かんぎたいふ)」だからだ。 「諫議大夫」とは皇帝太宗に意見をする立場である。時には耳に痛いことも言う。これはまさに社外取締役である。 皇帝というトップと諫議大夫である社外取締役の議論を記したのが「貞観政要」なのである。 本書で一貫しているのは、皇帝が傲慢(ごうまん)にならないように「諫議大夫」が諫(いさ)めることだ。 皇帝が傲慢になったために短命で終わった王朝があった。秦などである。そうならないために「諫議大夫」は命懸けで皇帝を諫めるのだ。 現在においてもトップが傲慢になれば経営は傾くだろう。しかし、なぜ傲慢になるかと言えば、社外取締役がへつらいこそすれ、厳しく諫言(かんげん)しないからではないか。 私は、「貞観政要」を読み、「使える!貞観政要」(ビジネス社) を上梓(じょうし)している。 それからの引用で申し訳ないが、参考になると思われる言葉を紹介させていただきたい。 「貞観政要」の「納諫第五」には「諫議大夫」が命懸けで太宗を諫める逸話が登場する。 その中に「所謂(いわゆる)同じく乱に帰するなり」という言葉がある。 太宗が、洛陽の宮殿を造改築しようとした。太宗は、贅沢(ぜいたく)を諫めていたが治世が四年に及び、順調なので、傲慢さが出てきたのだ。その表れが宮殿の造改築である。 すると「諫議大夫」の張玄素が、宮殿の改築は、 1.民衆が疲弊する 2.贅沢の復活になる 3.民衆の怨嗟(えんさ)の声が起きる 4.民衆の復活力を奪う 5.洛陽に行幸する必要はない このように数々の理由を付けて反対した。 それに加えて阿房宮を作った秦、章華台を作った楚は、贅沢で国を滅ぼしたと過去の悪事例を上げた。そして太宗に対して、彼が反面教師にしている隋の煬帝以下だと言ってのけたのである。 太宗は心底、怒ったことだろう。そこで張に対して「お前は、私のことを隋の煬帝以下だと言うが、夏の桀王や殷の紂王と比べたらどうか」と聞いた。 桀王も紂王も共に暴君で名高いのだが、太宗にしてみれば彼らよりはマシだろうと言いたかったのだ。 すると張は「所謂同じく乱に帰するなり」の言葉を投げ掛けるのだ。贅沢をしていると、結局、国が乱れるから、一緒だ、比較にならないという意味だ。 太宗は、よく諫言してくれたと張を褒め、造改築を断念したのである。 会社が順調であれば、トップは贅沢をしようとする。それくらいしてもいいと思うからだ。豪邸を建てたり、私物化するゴルフ場を作ったり、愛人を囲ったり…。さまざまである。こんな事例は山ほどある。 なぜ、そんな贅沢をするのか。誰も諫めないからである。諫めるどころか、けしかける部下もいる。そんな時、社外取締役は「ダメ」と言い切れるか。本業を逸脱する投資は許されない、と諫言できるか。その時はこの言葉「所謂同じく乱に帰するなり」を思い出して欲しい。 ゴルフ場は諦めるけど、豪邸はいいだろうと甘いことをトップが言ったら、「どっちもダメ」と言い切って欲しい。それに腹を立てて「クビ」にするようなトップなら、さっさと社外取締役を辞任すべきだ。 ほかにも「夫れ功臣の子弟は、多く才行無く、祖父の資蔭(しいん)に籍(か)りて、遂に大官に處(お)り、徳義、修まらず、奢縦(しゃしょう)を是れ好む」などという言葉もある。 この言葉は太宗が発したものだが、要するに縁故などで偉くしたやつには碌(ろく)なやつがいないという意味だ。 トップの息子だからといって能力も無いのに後継者にしたら、経営はおかしくなる。 トップが、そんな無能な息子を後継者にしようとしたら「ダメ」というのも社外取締役の役目である。 日経の記事にあるように社外取締役の報酬を上げるのは、会社の勝手だが、その分、社外取締役の責任は何倍も重くなるということは言わずもがなである。 (時事通信社「金融財政ビジネス」2025年9月8日号より)

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